今朝、息子が朝ごはんを食べながら

「そういえば、上着洗っておいて。昨日の給食中、友達に牛乳をこぼされたから」

と言った。


私は息子の話を聞いて、すぐ

「あの上着、洗ったばかりじゃん…」

「何故昨日のうちに教えてくれないの?教えてくれれば、昨日の夜、洗濯できたのに…」

と、グチグチ言ってしまった。


友達に牛乳をこぼされたから、息子の不注意でもない。

しかも洗ったばかりというのは、私の都合だ。


その後も私はイライラしながら

「早くカゴに入れておいて。洗うから。」

と息子にぶっきらぼうに伝えた。


…もう本当に、自分でも呆れるほど怒ってる。


公文の筆箱事件と同じ。

今度は、上着と私を同一視している。


「なぜ私(=上着)を大事にしてくれないの?!」

と、悲しみと怒りが湧き上がってくる。


まだまだ認知が歪んでる。


自己嫌悪を感じながら洗濯の準備をしていると、息子が

「ママ、怒ってるくせに。」

と言ってくる。


ドキッとした。

露骨に態度に出ていたのか…


息子に、

「ママ、怒ってるかな?口調?顔つき?」

と聞くと、

「気持ち。」

と言われた。


「そうだよね。ママ、怒ってるよね。

…ちゃんと上着、洗っとくからね。」


ごめんね、と口から出かかったけど、それは私が免罪符を求めているからだ。

息子の為に謝る訳じゃないから、堪えた。


上着は私じゃない。

でも、私は上着を大事にしてくれない=私を大事にしてくれない

だと思っている。

境界線が出来ていない

息子が服を汚すのが許せない

汚してはいけない=完ぺきでなくてはならない、という思い込み

ミスは許されないという歪んだ価値感を、息子に投影している

些細なミスさえ許せない自分を見つめる

ミスは誰でもするもの、私だってそうだ。

ミスする自分を認めて、受け入れる

息子のミスも自然に受け入れられるようになる