もし、お母さんの怒りを「自分のせいではなかった」としたら、「今まで耐えてきたのはなんだったのか!」という憤りと、自分の怒りを「相手のせいにもできない」し、それは相手にとって影響力も持てないということになります。


私はお母さんにされてきたことを、ずっと嫌だったのに、自分の信仰にすり替えているんだと思います。


なぜ私はこんなに無力感に打ちひしがれているのか?

なぜ他者評価と無価値感を、繋げてしまうのか?

と、ずっと分かりませんでした。


でも、子どもの頃にお母さんに愛してもらえなかった事で、母の怒り=自分の無力感と無価値感、

と繋げてしまったのではないか、と思い始めました。

お母さんに認めてもらいたくて、子どもの頃ずっと頑張って来た。


私が頑張れば母は認めてくれる

=私のせいなんだ


と、信じて頑張って来た。


でも、母の怒りが私のせいでなかったら?

=私の努力が報われない事を認めるしかない。

母への怒りと憤りと向き合わないといけない!

そんなの嫌だ。もうこれ以上苦しみたくない!

そして、私が子ども達にしてきた教育が間違いだと証明されてしまう

私の間違いを素直に認めたら、家族に見放されるのではないか?

息子や娘に、無力な自分をさらけ出さなければならない恐怖

現実に向き合うことから逃げている



母の怒りが母自身の問題だと認めたら、
きっと私の無力感や無価値感は、軽減すると思います。
母に愛されなかったのは私のせいではない、と思えたら、とても楽になります。

でも
私は母の信仰を受け継いでいる。
信仰が間違いだったと認める事で、
私が今までやってきた子育ては、とんでもなく歪んでいる事を、認めなければならない。

とんでもない過ちを犯して子ども達を傷付けてきた。
私自身が嫌だった事を散々子ども達に、偉そうにやってきてしまった。

それを、どう償えば良いんでしょうか…

子ども達に、申し訳ない。
私が間違えていた。