261年6日















夕1刻
郊外の邸宅
僕は熱気冷めやらぬ王立闘技場を足早に後にして、自宅へ戻ってきていた。
今日は同僚であり親友の母親でもあるサナさんの試合だった。
残念ながら負けてしまったけれど…
この日は朝からずっと心ここに在らずって状態で過ごしていた。
朝から父が寝込んでいたから。
遂にその日が来てしまったから。
妻もその事が分かっていて、僕を元気づけようとしてくれているのか朝からデートに誘ってくれたりした。
でも、実は何を話したかあまり覚えていない。
妻とバシアス浴場にいる時も、ずっと父のことを考えていた。
それでも夕刻までは家に帰らなかった。
ずっと父の側にいたかったけど、かえって父が気を使ってしまうと思ったから。
息子にも気を使うような、そんな人だから…
僕はベッドに横たわる父の顔をじっと見ていた。
改めて似ているなぁ…と思った。
まあ、僕が父に似ているんだけど。
僕が父に似たことを、母はすごく喜んでたっけ。
まったく、よりにもよって…
「どうした、ユーリくん?なにか言いたげな顔してるけど…」
眠っているとばかり思ってた父が急にそんなこと言うもんだから驚いてしまった。
寝てると思ってたのに!
「うん、少し寝てたけどね」
ああ、起こしちゃったんだね。
ごめん。
「いいんだよ、少しユーリくんと話がしたかったしね。悪いけど、ちょっと手を貸してくれないか?」
父が身体を起こそうとしているのが分かって、僕は慌ててクッションをヘッドボードの前に掻き集めて、父の背中を支えた。
その後僕はベッドの端っこに腰掛けて、父と対面していた。
話って?
「特になにって訳じゃないんだ。ただ話がしたくてね。それより君の方が何か言いたげだったろ?」
いや、言いたげっていうか。
何も今日じゃなくてもって思ってさ。
「ふふふ…寧ろ、今日だからこそって僕は思ってるけどなぁ」
なにそれ。
どこまでラブラブ夫婦なんでしょうね?
「生きていたら、ツェリちゃんは今日で28歳になっていたんだなぁ…」
ご長寿だねぇ。
「そうだねぇ。ご長寿になって欲しかったねぇ」
…お父さんはさ、お母さんと結婚して後悔したことってないの?
「ないねぇ」
即答なんだw
でもさ、お父さんは遠い国から来たわけでしょ?
故郷に帰りたいって思ったことはないの?
「うーん、まあ最初の頃は故郷が恋しくなった日もあったけど、だからって帰りたいとは思わなかったなぁ」
へ〜。
「今じゃ、この国で過ごした時間の方が長いからね」
そうだよねぇ。
成人してすぐ国を出たんだもんね。
「そう。世界中を旅するのが夢だったからね」
前にさ、お母さんから聞いたんだけど、お父さんはこの国に許嫁がいるって知らずに来たんだよね?
「そうなんだよ。そもそも成人したら世界中を旅するって決めててね。そしてら父と母が“まんぞくするまで旅をしたらこの国に行きなさい”って言うんだよ。そして“その国が気に入ったらそこでずっと暮らしなさい。気に入らなかったら帰っておいで”って」
その国に許嫁がいるから…とは言われずに?
「そう、ただ行けって言われただけ」
今お父さんがこの国にいるってことは、この国が気に入ったってことだね?
それともお母さんのことが気に入ったとか?
「どっちもだね。この国の気質って言うのかな、そういうのが僕に合ってる気がしたんだ。それに、すぐにツェリちゃんに恋をしたからね」
お母さんは一目惚れだったって言ってた。
「うん、言ってたねぇ。考えたら僕もそうだったのかなぁ?」
お父さんも一目惚れだったの?
「うん、多分ね。とにかく初対面からすごいインパクトが強かったって言うか、印象的な人ではあったからねぇ」
なんとなーくわかる気がするw
「エルネア波止場に降り立ったらさ、そこに着物を着た綺麗な人が立ってたんだ。全体的に上品な雰囲気を纏ってね」
新年だったの?
「そう、ちょうど新年祝賀が終わった頃合いだったんだと思う」
お母さん、新年の時だけよく着物着てたよね。
「うん、髪を綺麗に結い上げてね。そんな状態でこっちみて立ってたんだ。ああ、この国の女性は綺麗だなぁって思ったよ」
「ボーッと見てたらその人が声をかけてくるんだよ。しかも僕のことを知ってたんだ。これには驚いたよ。“レヴァインさんですよね?あなたを待ってました”とか言うから」
「歳上であろう綺麗な女性から“あなたを待ってました”って言われたら、ドキってするじゃないか。そしたら矢継ぎ早に話しかけてくるんだよ。で、気がついたら友達になってたんだ」
ははは、お母さんっぽいw
「だろう?とにかく強引なんだけど不快感はないんだよなぁ。不思議な人だよねぇ」
第一印象は変な人って感じ?
「変な人とまでは思わなかったよ。ただ、なんて面白い人なんだろうとは思ったね。それで、具体的ではなく漠然となんだけどね、この人と一緒にいたら楽しい人生を遅れそうだなぁって思ったんだ」
もう人生まで思っちゃったの?
「ね?これもある意味一目惚れだと思わない?」
そうだねぇ。
初めて会って数刻で“この人とだったら〜”とか考えちゃったんだもん、一目惚れだよねぇ。
「だろ?だから次の日には、この国で暮らしてもいいかなぁって思ったんだよね」
早っ!
「それでも迷わなかったわけじゃないんだよ?でもさぁ、そんな風に考えてた所にツェリちゃんがやって来て“よかったらこの国で暮らしませんか?”って帰化書を持ってくるんだよ。しかもさ、頬をほんのりピンク色に染めて、少し潤んだ目で上目遣いで帰化書を受け取ってくださいってされたらさぁ…」
ちょっっっっろ!
「いや、自分でもチョロいなぁとは思うけどさぁ。その頃6歳だよ?で、ツェリちゃん9歳。僕はほぼ女性に免疫なんてないんだから!」
まあ、そうだけどさぁ…
自分の父親が、そんなありきたりなテクニックに落ちてたとか知りなくなかったわぁ。
「いやいやいや、あれには抗えないって!君ね、当時のツェリちゃんがどれだけ綺麗だったか知らないからそう言えるんだよ!」
まあ、確かに綺麗な人ではあったよね。
それに、おっぱい大きかったしね?
「…ん?」
頬をピンクに染めて、ウルウル上目遣いで帰化書を持ってきた時には、胸元がざっくり空いた服着てて、両手で帰化書持って差し出す時にグッと二の腕で自分の胸を寄せて谷間バッチリ見せつけてたんでしょうね、お母さんのことだから。
「…」
お父さん?
なんで目を逸らすの?
「…君ねぇ、さも僕がツェリちゃんに騙されたみたいな言い方するけどね?それでコロッと落ちて付き合うことになって結婚したとしてもだ、それを一度だって後悔したことはないんだからそれでいいじゃないか!」
いや、別に騙されたとまでは言ってないよ?
まあ、お母さんはお父さん落とすの簡単だったろうなぁって思っただけで。
それよりさぁ、お父さん。
「ん?なんだい?」
なんだってこんな時に、こんな成人したばかりの男子みたいな会話を、いい歳したオッサン2人でしてるんでしょうね?
「ははは、まあ、こんな時じゃないと、親子でこんな話照れくさくて出来ないからじゃないかな?」
…なるほどねぇ。
「…幸せな人生だったと思うよ。この国に来てツェリちゃんと過ごした人生は」
ちょっ!
何を纏めに入ってるの?
まだ待ってってば!
「ユーリくん、落ち着きなさい」
いや、落ち着けないでしょ?
ていうか、お父さん落ち着きすぎでは?
「もうすぐね、もうすぐでツェリちゃんに会えると思うと、楽しみで仕方がないんだよ」
お父さん…
「ジュリアちゃんもユーリくんも結婚して、孫が4人生まれて、お土産話がたくさん出来たからね。ツェリちゃんに話したいことが沢山あるんだよ」
………
「ユーリくん、いつかまた会えるさ。しばらくのお別れ。ただそれだけの事だよ。僕は幸せだったんだ。だから…悲しまないでくれ」




しばらく後、父が静かに息を引き取った。
姉のジュリアも、甥のヒースコートや姪のアニータも駆けつけ、家族に見守られた最期だった。
姉は昼間にここに来て少し父と話をしたと教えてくれた。
僕との話と違って、昔の話ではなく子供たちの話しをしたそうだ。
ヒースコートがやんちゃで困るだとか、アニータが学校へ通いだしてからおしゃまになったとか、そんな他愛もない会話だったと。
玄関まで姉を送っていくと、姉は僕を不意に抱きしめて「結婚してもこの家に住んでくれてありがとう。お父さんを一人にしないでくれてありがとう」と言って帰って行った。
もしかしたら、姉は結婚前だと言うのに騎士隊に入ったタイミングで家を出たことを、ずっと気にしていたのかもしれない。
長女である自分が家に残って親と同居するべきだったのではと、そんな風に思っていたのかもしれない。
思いがけず、姉のそんな思いを知った夜だった…










娘のジェニファーにミルクをあげて、ベアトリスにねだられたお菓子をあげ、妻におやすみのキスをしてから全員が眠るのを見届けて、僕は家を出た。
何となく、家にいたくなかった。
家の目の前の街門広場には、郊外通りの方から家路を急ぐ人達が噴水通りへとまるで呑み込まれるように消えていく。
僕はそれが途絶えるのをボーッと見てから、街門広場を横切り、牧場通りからエルネア波止場へと歩みを進めた。
夜でも明るいヤーノ市場を通る気になれずにそのまま通り過ぎ、左側にある階段を登る。
神殿通りは人影もなく静かで、僕の足音だけが聞こえていた。
神殿のアトリウムに入って花の香りに包まれると、何故か少し落ち着いた。
奏士や奏女を起こして仕舞わぬように静かに神殿へと入り、地下へと降りた。
明日、ここで父の葬儀が行われる。
そして、ここには母が眠っている。
僕はここで夜を明かすことにした…
