マンション。
エントランスに自動販売機がある。
その15メートル先にはコンビニがある。
さらに150メートル先にはスーパーマーケットがある。
これから当たり前なことを書くけれど、ちょっとお付き合い。
品揃え、価格どちらも優れているのがスーパーマーケット。以下、スーパー。
品揃えが十分なのはコンビニ。
いつも同じ種類なのは自動販売機。
距離が違う。距離とは、時間×速度で表せるわけで、つまりジュースまでの到達時間と同じことだ。
いつも迷う。
スーパーならペットボトル100円、特売なら88円の時もある。
コンビニだと150円、プッシュ商品なら125円。
自動販売機は150円、缶が120円。
スーパーで買えばいいじゃない。そう思う。自分だって平常時はそう思う。
が、風呂上りで髪が濡れたまま、買い置きがない場合、往復300メートルってきついでしょ。それに風呂はいっちゃったもんだから、外出用の服を再度コーディネートするのは面倒。スウェットでの300メートルは独身男の心理としてはいささかいただけない。
その場合はコンビニか自動販売機かという選択になる。ただ、自動販売機はジュースしかない。コンビニは本当に便利だからアイスもある。アイス食いたい症候群が発症した場合、7分以内にアイスを体内摂取しなければ、自己嫌悪の波が押し寄せ、朝を迎える孤独を忘れて赤い手首を抱きしめて泣いた夜を終わらせてー♪を迎える可能性だってありえる。
買い置きすればいいじゃないと言うかもしれない。買い置きが癖になりすぎて、大変なことになったことがある。カップラーメンを1ダース入りを8段ボール買ったことがあった。しかし、体調を悪くしがちな理由を不摂生だと医者に診断され、長期間部屋の片隅で赤いきつねのダンボールや山となった鯖の味噌煮缶が俺の寝床の横で威風堂々と居座っていた時期があった。地震が来たらきっとそれで押しつぶされて果てるだろう。女の子も連れ込めるわけがない。それ以来、買い置きは心の病だと考えるようになった。コンビニも近いんだし。床下のパスタが5キロぐらい常にあるし。あ、床下はノーカンでお願いします。
単純にお金の計算ですめばいい。シンプルな答えが浮かぶ。全てスーパーにすればいい。
が、経済観念の希薄な人間は金銭万能主義という靄の中に踏み込んでしまい、自分の度量を見極められず、金策に追われることになる。折角生を受けた際に与えられた自由という権利を、お金という人間の作り出したシステムに拘泥されることで不意にしてしまう。割り勘の10円単位という些末な事象にまで目を光らせてしまうようになるのだ。
そして、条件というのは常に生きるうえで選択を迫られた際に判断するべきものであるから、これをないがしろにするようではこの人生を生きていく中で全てを不意にする可能性を孕む。チョイスセンスを磨くことは読書の次に大事だと考える。
また、時間は万物に与えられた等価的平等性の唯一の存在であるからして大切にせねばならない。今健康で走れるけれど20年後こんな風に走れるかと問われればいささか自信が持てない自分がいる。しからば、今できることを今やろうというのも一つの決断かと思われ、この時間という概念をないがしろにすることもできない。
ああ、もう駄目だ。
俺は何て甲斐性なしなのだ。
物事に狭量的でありながら、何事にも頓着しすぎる。
一日の終わりを楽しく迎えることが出来ない、愚図の骨頂なのだ。
醜怪な思考を散文的に書き散らすだけの腐れインポ野郎なのだ。
とか考えながら水を飲む。
もう水しかねーもん。ジュース飲もうと思うからジュース脳になって、ジュースのことに考えが凝り固まってしまう。
水飲めばええねん。タダだし。
んで、ジュース買ったつもり貯金すればええねん。
半年で1万5千円ぐらいになるから、案外いいことなのかもしれない。