標題音楽 |  ヒマジンノ国

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サー・トーマス・ビーチャムによる、リスト「ファウスト交響曲」(1958)。

 

ALP1737、1734(本来ステレオですが、自分が所持しているのはモノラル盤)。

 

 

フランツ・リストによる、「ファウスト交響曲」。

 

これはゲーテの戯曲「ファウスト」にインスパイアされた作品で、ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレス(それぞれ、この作品に登場する主要人物と、悪魔の名前)と名付けられた、巨大な3つの楽章から構成されています。リストはダンテの「神曲」と、このゲーテの「ファウスト」を殊の外愛していたといわれており、親友でもあったベルリオーズの作品に触発されて、この作品を書いたようです。

 

曲は物語の内容を追ったものではなく、登場する3人のメイン人物の性格描写に捧げられており、リアルで真摯な筆致が聴き物かもしれません。

 

しかしリストは、通常よくいわれるように、作曲家として、いささか魅力に欠くところがあります。ファウスト交響曲は、統一した主題と、同時にソナタ形式で書かれているとはいわれますが、主題と旋律の、「含み」と「魅力」に欠き、まとまった感動を与えるには散漫な感じがします(素直な書き方のように見えます)。

 

どちらかといえば、彼の主張した「交響詩」に近い楽章が3つ、並列に並べられているような音楽で、終楽章に、有名な戯曲の終わりの句・・・

 

「すべての物質的現象は映像にすぎぬ・・・」

 

・・・(マーラーが第8で作曲したものと同じもの)に作曲がされていますが、やや唐突な印象もあります。

 

ただ、第1楽章はまるで現代音楽のように始まり、その辺はリストの天才性を感じさせます。

 

(↑、ラトルによるCD、1994年録音。)

 

 

↑、フランツ・リスト(1811-1886)。ショパンと並ぶ史上最大のピアニスト。ピアノをオーケストラのように弾いた、初めての人物(H・ショーンバーグ)。音楽史に居並ぶロマン派、伝説的天才の1人ですが、ピアノ曲以外の作曲は賛否があります。当時は、コンサートを聴きに来た女性たちを、演奏で失神させるほどのスターでした(彼に匹敵するのは、マイケル・ジャクソンぐらいですね)。

 

 

シャルル・ミンシュによる、ベルリオーズ「ロメオとジュリエット」(1953)。

 

LM6011、6012(ボストン響とミンシュがベルリオーズを録音した、記念すべき第1弾の録音。ちょっと硬さを感じさせる音質ですが、どの部分も音の分離が良く、コーラス、管弦楽共によく入っています)。

 

 

ベルリオーズ、「ロメオとジュリエット」。

 

この作品こそは、ワーグナー、リスト共に非常に影響を受けた作品で、おそらくリストの「ファウスト交響曲」も、この作品があったからこそ、生まれたのだと思います(あるいは、ワーグナーの、あのトリスタンでさえも・・・!)。

 

ベルリオーズはシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」を非常に愛しており、その作品の賛歌ともいうべき作品を書きました。リストの「ファウスト」も同じといって良いでしょう。しかしこれらの音楽の難点は、作品の主題(音楽的な意味ではなく)を、純粋音楽以外の「文学」に頼っており、これらの文学を知らない聴衆にしてみれば、このような音楽を聴いて、その音楽が一体何をいっているのか、分からないところにあります。

 

このように、「音楽」と「文学(必ずしも文学とは限らないが)」という、ダブル・スタンダードの視点を持った作品を「標題音楽」といいます。

 

そして歴史的に、このような作品を意図的に作り出した作曲家こそ、このエクトル・ベルリオーズであり、この後のリスト、ワーグナー、R・シュトラウスの先駆けとなりました。

 

彼の有名な「幻想交響曲」には、各楽章ごとに文章で説明がついています(音楽を文章で説明することについては、元を正せば、ベートーヴェンの田園まで遡ってしまいますが・・・)。

 

「幻想交響曲」という作品は、音楽の内容を、音楽以外の「言語」、で語っているわけです。しかし、ベルリオーズのやっかいなところは、仮に音楽のみで何をいっているか分からない、としても、その音楽に狂気じみた興奮があり、それが筋書きを知らない聴き手にも、興奮をもたらすところにあります。彼がロマンティックな悪魔といわれるゆえんです。

 

この「ロメオとジュリエット」は、オペラのように筋書きが作品内で語られることはありません。しかしフィナーレにおいて、シェイクスピアの原作を知らない人には全く意味の分からない、登場人物たちによる合唱が入り(まるでオラトリオのようです)、また前半にも明らかな描写音楽がいくつも現れます。そのため少なくとも、聴き手は「ロメオとジュリエット」というシェイクスピアの作品の存在は知っておかなければなりません(ファウストも同様です)。聴衆に教養を求めてきているわけです。

 

それ故敷居が高く、演奏される機会も稀です。内容も非常に大規模で、聴き手がこれを理解するのも中々大変ではあります。

 

しかし・・・です。色々文句は出ますが、結局、誰が何をいったところで、この作品が傑作なのは間違いがなく、初演から現在まで、消えることなく残っているわけです。

 

異論は百も承知でいいますが、個人的にはこの「ロメオとジュリエット」は、有名なチャイコフスキーや、プロコフィエフの作品(彼らもロメオとジュリエットを作曲している、他にもグノーなど・・・自分はグノーは未聴ですが(;^ω^)。)と比べても、この作品の方が優れていると思います。非常に意欲的に書かれており、どの部分もインスピレーションに溢れ、ベルリオーズ特有の「白熱する興奮」が、各所に散りばめられています。

 

そして何より、最も美しいのは「愛の情景」と題された、第6楽章でしょう。

 

モンタギュー家とキャピレット家のいさかい描いたイントロ、そしてキャピレット家の舞踏会の喧騒が第2部で描かれると、有名なバルコニーのシーンを描く、当該の第6楽章(第3部)に入ります。

 

喧騒を離れるロメオの孤独な心情が、瑞々しい美しい音楽で描かれていきます。この辺りの描写の素晴らしさは、ベルリオーズでしか描けないところです。

 

これを、「今世紀におけるもっとも美しいフレーズ」と語ったのは、リヒャルト・ワーグナーでした。

 

 

 

(↑、第6楽章から切り抜き。1分ずつしかアップできないです。

 

ここは交響曲でいう緩徐楽章になります。15分以上かかる長い音楽です。1人孤独になるロメオですが、ジュリエットの部屋の下まで、偶然に訪れます。それに気づくジュリエット。この楽章は、遂に、2人が愛を誓い合うシーンです。ノイズがパチパチいってます、失礼・・・(;^ω^)。)

 
 
(↑、第3部のクライマックス。徐々に高揚するパッセージが、濃厚な愛の溜息となって、全ての想いを押し流していきます。
 
こういうのを聴くと、ベルリオーズから離れられなくなりますね。ミンシュの生気に満ちた、線の太い表現が素晴らしいです。ミンシュは後にステレオでも入れています。)
 
この後のマブのスケルツオなども良い曲です。
 
(↑、ピエール・モントゥーも好きな演奏です。)
 
 
↑、エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)。ロマン派の始祖で、これも伝説的天才の1人。極度の誇大妄想癖を持っており、それが作品に反映されています。しかしその作品の構造は、実は非常に古典的で、美しいといわれています。