フィリップ・グラス |  ヒマジンノ国

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フィリップ・グラス、「ピアノ・ワークス」(2016)。ピアノ、ヴィルキングル・オラフソン。

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スティーヴ・ライヒ等と共にミニマリズムを確立させた作曲家、フィリップ・グラス(1937-)のピアノ作品集。基本はエチュードからの抜粋で、グラスワークスのオープニングを除けば、10曲ほどの内容です。
 
都会的な雰囲気と、前近代的な印象が混じり合った作品集で、感触は良いです。ミニマリズムの反復される音楽が大曲ではしつこく感じますが、ここでは、どの曲も短く、長くても11分、ほとんどが10分以内なので、聴く方も負担は少ないと思います。
 
聴いていると自分が映画のワンシーンに居るような感じがしてきます。都会の中で撮られた映画・・・。セピア色を思わせる、感傷的な音楽だと思います。
 
どうでしょうかね、コンサートなどの基本曲目になるほどの作品なのかは微妙でしょうか。旧来のクラシック作曲家を聴いている時の様な、とても感銘を受ける、という瞬間にまではいってない気がします。
 
それでも自分は割と繰り返して聴いてはいるので、何か別の魅力はあるのかもしれません。悪くないアルバムだと思っています。推薦しても良いかな。
 
 
 
フィリップ・グラス、「アメリカの四季」(2013)。ヴァイオリン、ギドン・クレーメル、伴奏、クレメラータ・バルティカ。
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同じくフィリップ・グラスの書いた曲で「アメリカの四季」。ヴァイオリン・コンチェルトです。
 
中々魅力的な曲調で、シンセサイザーは入るものの、旧来のクラシック寄りの音楽、かつ意欲的な作品だと思います。楽章は全部で4つ、しかし初めと、楽章ごとの合間に「ソング」と呼ばれるカデンツァが入るので正味、楽章が8つあります。
 
多分その「ソング」を除くと、第2楽章は緩徐楽章、第3楽章はスケルツォ風なのでしょう。最初から間奏を含めた5つ目の楽章ぐらいまでは中々良いなあ、と思って聴きます。
 
しかし、6つ目のスケルツォ風の第3楽章ぐらいから、ミニマリズムの書法で、ずっと繰り返されてきた同じテーマの音楽がしつこく感じ始めます。
 
自分にはくどく、反復が多すぎるので、もういいよと感じてしまいました。伴奏を含めて結構良い音楽だと思っていたので、ちょっと残念ですかね。
 
この「NEW SEASONS」の、同じアルバムに入っている、ギヤ・カンチェリ(1935-)の「エクス・コントラリオ」も聴かせはしますが、従来のクラシック路線で聴くと、ややエキセントリックな印象はぬぐえないでしょう。
 
ミニマリズムにしてもここで聴く限りは短い音楽に適しているようには思えます。ライヒみたいな作品もありますが、正直まだちょっと「理屈」にとらわれすぎだと思います。
 
以前ブログで書いた、現代作曲家のアルヴォ・ぺルトもアーリー・ミュージックに似てる作風が魅力かもしれませんが、本物のアーリー・ミュージックを聴いていると、ぺルトの音楽は「固い」ように思えます。これも多分、彼が自分に課した「作風」の為かと思います。
 
芸術作品に「形式」はつきもので、絶対に必要なものです。しかし、その「形式」がどれだけ「自然」なものかが重要なようです。そう考えてみると、旧来の「ソナタ形式」などはそれなりに「複雑」だったかもしれませんが、我々人間の「身体感覚」によく合った「形式」だったのではないかと思います。
 
「形式ができあがる」とは、形式を作曲家が「意識的」に作る、ということでなく、「自然」と出来上がってきたものが、「結果」まとまったものが、「形式」になる、ということではないのでしょうか。
 
ここに収められた作品を聴いていると、前衛的すぎる作品よりずっとましですが、まだ現代の作曲家は「頭でっかち」なのではないかと、感じる瞬間が多かったと思います。