非常に簡単ですが今回は宇宙に関することを書いてみました。
20世紀に起きた宇宙に関する価値観の変換は、我々のそれまでの常識を覆したという事実は有名です。その常識とは、それまで考えられていた「時間」と「物質」に関する常識といっていいと思います。
「時間」は過去から未来に向かって常に一定の速さで流れる、という常識。あるいは、この世に目に見える「物質」はどこまで分割しても究極にはなにかしらそこに「物体」として存在する、という常識。
20世紀に発見された「相対性理論」と「量子力学」がこうした常識に終止符を打ちました。今回の記事はその辺りのことを中心にまとめながら自分の所感を述べたいと思います。
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<銀河系のこと>
宇宙は広い。しかし、地球上に暮らしている私達は宇宙の広さというものを実感するすべがない。
距離について実感するのなら、ためしに「長距離旅行」を思い起こすのも一つの方法ではある。「世界一周旅行」などといえば私達は非常に長距離の旅行を思いおこす。地球の半径は6378キロであり、外周はおよそ4万キロである。クルーズ船で世界一周旅行すればおよそ100日ほどかかる。・・・では月までは・・・?地球の衛星である月までは距離にして・・・何と38万キロもあるという。到達できる時間については今の自分にはちょっと想像ができない・・・。
・・・しかし、これがもし、他の惑星への宇宙旅行となればどうだろうか?
繰り返すようだが・・・宇宙は広い。一体どれほど広いかというと・・・我々の太陽系を例えていうのなら・・・。
スチュアート・クラークの本から引用する。
<太陽から冥王星までの距離を、サッカー場のたての長さだと想像してみてほしい。すると太陽は、たった2センチメートルの球となってしまう。地球は、太陽から2・3メートル離れており、わずか2ミリメートルの大きさだ。そして反対側にある冥王星は、ほこりの粒ほどにすぎない。>(「宇宙、ビッグクエスチョンズ」、スチュアート・クラーク著、水原文訳)
太陽系の端までいくのに、時間にして、私達は一体どれぐらいかかってしまうのだろう・・・?しかも、宇宙は我々の太陽系だけではない。私達のいる太陽系のような恒星系が集まって、銀河系を構成している(銀河系内の恒星の数は2000から4000億個とも。銀河系の直系はおよそ10万光年)。
さらに宇宙にはそのような銀河系が集まった銀河系団(数百や数千の銀河系が集まっている)があり、それが一万個以上あるといわれている。純粋に星を数だけを数えると次のようになるという。
同じくスチュアート・クラークの本から引用する。
<星は無数にあるようにように見えるかもしれないが、実際には人間の肉眼で識別できる星の数は3000ほどだ。これは宇宙に存在するすべての星の数の、ほんの一部に過ぎない。非常に大きな数を示す慣用句として、「宇宙の星の数」と「地球上の砂粒の数」は同じように使われているが、地球の砂粒の数は非常に多いとは言え、宇宙の星の数にはおよびもつかない。最新の推定によれば、宇宙全体に存在する星の数は約70×10の21乗(700垓)個であり、これは70の百万倍の百万倍の千倍、あるいは7の後にゼロが22個続く数だ。さらに比較を続ければ、これは地球上の砂浜にある砂粒の数の、およそ1万倍になる。>
今日私達が知りうる宇宙論の世界について、自分が興味を持ったのは中学生の時である。
しかし当初、読み始めた「ホーキング宇宙を語る」という本を読むにつれ、自分はその内容を全く理解できないことを思い知らさせるだけであった。これは当時まだ若かった、自分の理解力の無さが1つの原因だが、もっといえば従来の価値観では理解できない、あるいは普段の生活からは導き出せない世界の記述であることが、原因でもあった。
20世紀においておそらく宇宙物理学のもっとも劇的な発見であったのはアインシュタインの「相対性理論」とハイゼンベルグの「不確定性原理」だろう。前者はマクロな宇宙観に、後者はミクロな宇宙観に今までにない物の見方を迫った。
それ以前の時代、人々はユークリッド幾何学とニュートンの物理学の世界に閉じ込めてられていた。その世界では「時間」は絶対であり、ある一定の速度で流れるものであり、私達人間が一切タッチできない不可侵なものだと思われていた。そしてまた、この世界にある物質はある一定のブロックから構成されているものであり、そこにはこれ以上認識が不可能な極小の物質があると思われていた。
我々は義務教育の中で時間と距離(空間)、速度の関係について学ぶ。時速60キロの速度で走る車に乗って3時間行けば、180キロの距離を移動できる、というように。また科学の時間では物質は極小の原子や分子から構成されており、その電荷の性質によって元素の記号が決まることも習う。もっといえば分子さえ、クオークと呼ばれる粒子からなり、分割できる、ということも現代では比較的一般的なのかもしれない。
「ホーキング宇宙を語る」、スティーブン・W・ホーキング著、林一訳。
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<相対性理論>
ところがアインシュタインとハイゼンベルグの導き出した物理法則はこれを覆してしまった。
まずはアインシュタインの「相対性理論」。この理論によって、彼は従来の私達の持つ「時間」の概念の矯正を迫った(反面、空間については従来から「絶対空間」なるものがないことが知られている)。
初めに従来から知られていた空間の概念について、ホーキング博士の著作から引用をしてみる。
「静止の絶対的基準が存在しないことは、違う時間に起きた二つのできごとが、空間の同じ位置で起きたのかどうか決定できないことを意味する。たとえば、列車上でピンポン玉がまっすぐ上にはねかえって、テーブルの同じ場所に一秒のへだたりを置いて二回ぶつかったと考えよう。線路上にいる人にとってみれば、この二回の衝突はほぼ四十メートル離れた場所で起きている。というのは、玉が二回ぶつかる間に列車がその距離だけ動いているからである。アリストテレスは一つ一つのできごとに空間的な位置を与えることができると信じていたが、絶対的静止が存在しないことは、それが不可能であることを意味する。できごとの位置とできごとの間の距離は、列車上の人と線路上の人とでは異なっており、一方の見方を他方の見方より優先させる理由はないのである。」(「ホーキング宇宙を語る」、スティーブン・W・ホーキング著、林一訳)
ところがここに新たな観測の結果が加わった。
観測の結果、光の速さは何物にも影響されない一定ものであることがわかり、そこから従来の世界観とは異なる物理法則が導き出された。
時速20キロの自転車に乗りながら人が50キロでボールを投げたとする。するとその自転車から離れてボールを見ていた人にはボールは時速20キロと50キロの合計である70キロにならなければならない。かたや、20キロの自転車に乗っている人にとってはボールは時速50キロに見える。
ところが光の速さは自転車に乗っても、あるいは乗らなくても一定の速さで移動することが分かったのである。
「ニュートン理論では、光のパルスがある地点から別の地点に送られるとき、異なる観測者でも光が伝わるのに要した時間についての意見は一致する(時間は絶対的だからである)が、光だどれだけの距離を伝わったかについては、つねに意見が一致するとはかぎらない(空間は絶対的ではないからである)。光の速さは伝わった距離をそれに要した時間で割ったものであるから、異なった観測者はそれぞれ異なる光速を測定することになるだろう。これに対して相対論では、すべての観測者は、光がどんな速さで伝わるかということに関しては意見が一致しなければならない。しかし彼らも、光が伝わった距離については意見が依然一致しないので、それに要した時間についても、こんどは意見の不一致があるはずだ(伝わるのに要した時間は、つまるところ、光の伝わった距離―――これについては意見が異なる―――を、光の速さ―――これについては意見が一致している―――で割ったものにすぎないからだ)。言いかえると、相対性理論は絶対的時間の概念にとどめを刺したのだ!どうやら観測者には、めいめいたずさえている時間で記録される独自の時間尺度があり、異なる観測者がたずさえているまったく同じような統計が、なんとかならずしも一致しないのである。」(「ホーキング宇宙を語る」、スティーブン・W・ホーキング著、林一訳)
相対性理論によると光速はこの宇宙における最大速度(毎秒約30万キロメートル)であり、物理量のある物質は光速に近づけば近づくほど物理量を増し、その光速を超えることが無いようになっているからである。それゆえ、光速に近づくほど私達は時間の流れがゆっくりになっていき、光速に近づけば近づくほど時間の流れは止まっているように見えることになる。
光速に近い物体の中で暮らしている人はそうでない人に比べて時間の経過が遅く、歳を取るのが遅いように見える、というのである。
しかしこれらの現象は余程光速に近い状況でしか起こりえず、私達の生活にはまず影響がない。


