今日は久しぶりにちょっとだけオペラの話を書きます。娼婦を題材にした作品ばかりです。
芸術作品に娼婦は良く登場するモチーフで、真実の愛と、その苦痛は人間の根源的な姿をあらわにします。
ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の中で、止む無く身持ちを崩したファンチーヌが苦しみの中、我が子にかける想い。しかし、その想いもむなしく、死んでしまうファンチーヌ。
愛がどんなに強かろうとも、いざとなれば、人はそれを簡単に反古にできます。しかし、反古にされた思いが強ければ強いほど、人は自分の本来の人生の目的と真実を見出します。
本来望まれるべきものでないことが現実化した時、人間はそこから学ぶことがなければ、その人間はただの愚か者にすぎないでしょう。劇的に、人の心にに刻み込まれるからこそ、私達は人生の意義を、内面から実感できるのです。
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イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディのオペラで一番有名なのが、アレクサンドル・デュマの原作をもとにして作曲された「椿姫」です。
人気のあるオペラ「カルメン」、「マダム・バタフライ」と並ぶ「三大人気オペラ」とでもいうべきもので、個人的にも、第一幕の甘美な抒情性と、退廃的な喜びを歌う「乾杯の歌」など一度聴くと忘れられません。
原題の「ラ・トラヴィアータ」は堕落した女という意味で、パリで上流階級の相手をする高級娼婦、ヴィオレッタ・ヴァレリィの自己献身的な愛の悲劇を描いています。人間社会の世知辛い行き違い、あるいは世俗的な人間達の愚かさと、真実の愛の尊さとがテーマでしょうか。
しかし、このヴィオレッタの役回りは非常に難しい役の一つだそうで、演技、歌、容姿の三拍子をそろえねばならず、プリマドンナにしてもその時代のトップにしか許されない役でしょう。
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「椿姫」は最近はあんまり聴いてなかった作品ですが、久々聴いたものがあるのでその感想からいきます。
2種類ほど歴史的な録音を聴きました。一つは指揮者がピエール・モントゥー(1875-1964)のものです(1959)。フランスの名指揮者と、ヴェルディの名作オペラということで、とても期待したんですが・・・残念、これはもう一つでした。
丁寧な演奏ですけども、ヴェルディのオペラにはもっと活力が欲しいと思います。モントゥーはのん気すぎる気がしました。
もう一点はレナータ・テバルディ(1922-2004)がヴィオレッタを歌う1954年の録音(ステレオ)です。当時の、スカラ座でいえばヴィオレッタの当たり役はマリア・カラス(1923-1977)なんでしょうし、それには異存のない所でしょう。そしてスカラ座で一番となれば当然、世界一の当たり役ともなるわけです。・・・いや・・・もっといえば彼女は20世紀最大のヴィオレッタなわけです。
カラスのヴィオレッタについては以前書きましたし、有名な1955年の、ルキノ・ヴィスコンティ(1906-1976)が演出をした、イタリアの名指揮者、ジュリーニ(1914-2005)とのライヴが白熱した名演なのは、録音のみならず、歴史を描いた書籍などがその魅力を伝えています。
マリア・カラスの場合、セッション(1953)においても、指揮者はもう一つさえない気もしますが、20世紀最大のプリマとしての実力は充分示していると思います。
テバルディはカラスの一番のライバルだったわけですが、当たり役はもっと抒情性の強い「ボエーム」のミミなどにあるわけですから、劇的なヴィオレッタにそれほど向かないわけです。
マリア・カラスの場合、声の芯は太く、強直、しかしながらベル・カントの達人として、彼女独自の太い線の声でもってする、劇的な声の動きの再現に関しては、現代でもまず、右に出るものはいないでしょう。それに比べると、テバルディの場合、声質は平面的ながら、滑らかで強い広がりをみせます。こういう声は必ずしも劇的な動きを再現するには向かないところも出てくるでしょう。
だから彼女のヴィオレッタにはあんまり期待はしてませんでした。
・・・しかしこれが結構良かったです。テバルディ風のヴィオレッタ・・・こういうのは「違う」という人もいるかもしれませんが、僕は好きです。
確かにドラマ性はカラスに劣るとは思うんですが、とにかくスケールが大きいんですね。これだけスケールの大きい歌い手はそうはいません。また、本場の指揮者などによる演奏だということも大きいと思いました。全体に乗りが良く、イタリアの活力みたいなものを感じました。指揮者はフランチェスコ・モリナーリ・プラデッリで、ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団を指揮しています。
さすがに20世紀最大のソプラノ歌手、カラスとテバルディの2人はすごいな、と実感しました。力強いヴィオレッタがそこにいます。
一応定番についても書いておきます。「椿姫」といえばこのC・クライバー盤がほとんど決定盤的な扱いでしょう(グラモフォン、1976年録音)。
ヴィオレッタ役はイレアーナ・コトルバスで、とてもうまいですが、マリア・カラスやレナータ・テバルディを聴いた後に聴くと、スケールが小さくて少しがっかりします。
存在感がやや薄いかも、と・・・。しかし、こういうのは贅沢な悩みかもしれません。
・・・この演奏での、歌い手も素晴らしいですが、やはり最大のの魅力は指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)でしょう。
音楽がみずみずしく、生き生きとして、常にフレッシュです。第1幕の始まりから甘美な、生きたイタリアのオペラの世界が広がります。音質も良いし、音楽自体、どの部分も生きて語りかけてきます。歌手より指揮者本位で聴くCDとして、名盤というにやぶさかではありません。
もう一点、トスカニーニ(1867-1957)について書かないわけにもいきません。
しかし、最早、ここでは歌い手についてに書いても仕方ありません。この演奏の主役もまた、歌手ではなく、指揮者にあります。
生前、作曲家のジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)と親交のあった、伝説的な指揮者による歴史的演奏です(1946)。
「椿姫」は後半、激しい音の動きを見せますが、僕はそうした激しさにヴェルディの音楽の本質をみます。カラスとジュリーニの演奏もそうでしたが、このトスカニーニの演奏も白熱した演奏で、生々しいことこの上ないです。エレガントさなんて必要ありません(いや、むしろトスカニーニのカンタービレはエレガントさの塊、とでもいうべきでしょうか?)。
トスカニーニの演奏するベートーヴェンのシンフォニー、あるいはエミール・ギレリスの演奏するベートーヴェンのピアノ・ソナタ・・・。おそらく作曲家自身が演奏すればこうなってたんじゃないかと思える演奏ですが・・・トスカニーニのヴェルディも、もしかしたら作曲家自身の演奏に近いのかも・・・と思わせるものがあります。
時代も古く、音が悪いので、マニア向きの演奏でしょうか。
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他に聴いたものをもう少し書いておきます。
<マノン>
フランスの作曲家、ジュール・マスネ(1842-1912)によるオペラ「マノン」を聴きました。現在僕の所有するマノンは2種類。1つはジュリアス・ルデール指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970)。もう1つはヘスス・ロペス・コボス指揮、パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団(2001)。ルネ・フレミングなどが参加しています。
このオペラはアベ・プレヴォの小説が原作になっています。
プッチーニ(1858-1924)の「マノン・レスコー」も同じ原作ですが、マスネの「マノン」はラストシーンに変更があり、ヒロインがアメリカに渡ることなく、フランスで物語を終えます。
マノンはフランスのロマン主義を代表する作曲家で、淡い暖色を思わせる優美な音楽で、しなやかに音楽を紡ぎ出していきます。華やかな、甘酸っぱい音楽ですが、イタリア、ドイツのオペラにはない雰囲気があります。
「椿姫」同様娼婦型のヒロインの悲劇を描いていますが、マノンはヴィオレッタに比べてずっと我がままです。自分が聴いた演奏は両方ともまあまあ、という感じで、おそらくもっと良いものがあるんじゃないかと思いました。
演奏の話はともかく・・・とりあえずこれでまた1つ作品をマスターです。
<つばめ>
最後はプッチーニの「つばめ」。こちらもお囲い女(娼婦)のマグダが主人公のオペラです。元々プッチーニはこの作品をオペレッタにするつもりだったようですが、途中で計画は変更されオペラになりました。
しかし、作品の乗りは軽く、物語も深みは乏しいきらいがあります。プッチーニの作品の中で最も演奏されない作品のようです。
ですが、世間がなんといおうと、僕はプッチーニの音楽が好きなのです。この作品にもたくさんのプッチーニを聴く喜びがあります。
精妙なリリシズム、甘い、透明なメロディー。あるいはプチサロン的で、プチモダンな雰囲気など。
主人公、マグダもまた真実の愛を求め、ランバルドの情婦であることをやめ、愛するルッジェロと一緒になろうと思い立つのですが・・・。
物語は割とあっさりと終るので、深いものを求める人には向かないでしょう。プッチーニの主要な作品を聴いた人が聴くべき音楽かもしれません。
演奏はアントニオ・パッパーノ指揮、ロンドン交響楽団です。ロベルト・アラーニャ、アンジェラ・ゲオルギューによる歌唱です。










