さらに増えたアイーダ。 |  ヒマジンノ国

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カラヤンの1959年録音のアイーダを聴いたので、感想を書いておきます。以前新盤の感想を簡単に書きましたけど、僕はこの旧盤のほうが断然好みです。


カラヤン指揮「アイーダ」。オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。ソプラノ、レナータ・テバルディ、テノール、カルロ・ベルゴンツィ、メゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シオミナート、バス、アルノルト・ヴァン・ミル。その他。

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歌手が良く歌い、カラヤンもオールド・スタイルともいうべきで、躍動感があります。いうなれば、新盤は演奏者カラヤン側に寄った演奏で、「カラヤン好み」の内容、という感じですが、こちらはもっとヴェルディの曲に寄った内容です。1997年発行の音楽之友社発行の、「クラシック・不滅の名盤800」の中で、この盤に対する解説があります。長木誠司氏の解説で、簡単に抜粋します。


「フレーニ、カレーラス、バルツァの組み合わせによる二度目の録音は、透き通るほどまでに磨きをかけたオーケストラ音を、全体に隙間なく散りばめて(まぶしいばかりのアイーダ・トランペット!!)、その上でイタリアの団体でさえ真似できないほどの流麗なカンタービレをかけてゆく、完璧なカラヤン好みの音楽となっているが、その徹底ぶりは両刃の剣で、歌を楽しむ生粋のイタリア・オペラ通には違和感の残る、肌をすり寄せにくい世界かもしれない。その点、テバルディ、ベルゴンツィという、必ずしもカラヤン好みの声とは言えない、そして様式的にも確実な歌唱を身上とする大歌手たちをメインに据えて、声の饗宴を聴かせつつ、コッソットが裏でドラマの牽引役を引き受けているような旧盤は、カラヤンでなくて、作品自体が語りだすという意味での一般的な名演に数えられるだろう。新盤の抜けるような録音と比べても、けっして聴き劣りしない、当時のデッカ録音の優秀さも際立っている。」


これは僕にとってはまさに完璧な論評です。まさに完璧。


この盤では歌手たちは良く歌い、カラヤンの演奏も迫力と弾力があります。うーん、ヴェルディ聴いてるなあ・・・と実感できる素晴らしさ・・・。セラフィンの演奏した「トロヴァトーレ」なんかと同じような雰囲気と、感動があります。こうやって聴くと、ヴェルディは楽しいです。


新盤だと、僕は苦手なんですが、もっと理知的に聴けないといけないんでしょうね。あるいは、作曲家が何をいいたいか、ということに興味を持つんじゃなくて、演奏家がスコアを材料にどんなことができるか、あるいは、自己主張ができるか・・・ということに興味をもつ人には面白い、といったところでしょうか。あるいは、曲から新たな別の側面を引き出した、というべきですか。





もう一点の「アイーダ」は、マリア・カラスのコヴェント・ガーデンでのライヴです。録音は1953年です。


以前、メキシコ・シティでの音源について書きましたけど、当然、今回はそれとは別物です。この音源、ケスティングの著書にあるカラスのディスコ・グラフィには明記してなくて、出所が良く分からないです。


まだ第二幕の終わりまでしか聴いてないんですが、今回もマリア・カラスって不思議だな、と改めて思いました。このライヴでは二幕の終わりの、ウルトラC―――延々と保たれる高い変ホ音―――はやってないんですが、その代わりといっては何だけど、彼女特有の柔らかい、包み込むような音色が二幕のラストで聴けるんです。


何でしょうね・・・。人間的な暖かさと・・・何故か美しいと思ってしまうその声の魅力。ライヴだからなんでしょうが、声に張りがあって、楽しめます。それにこの盤の、もう一つの魅力は、伴奏が、ジョン・バルビローリだということでしょう。


オーケストラの音も割合良く入っていて、バルビローリ卿の味わい深いダンディズムに満ちた「アイーダ」の解釈が聴けます。ただ、マリア・カラスを聴くなら、やっぱりメキシコ・シティでのライヴの衝撃は僕には簡単に忘れられそうにないです。

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次は簡単な書評などを。




カラヤンのムック本を買ってきました。全体に肯定的な内容です。色々考えさせられることがあります。個人的にはカラヤンの資質についてちょと思うところがありました。


戦後のスカラ座にカラヤンを招聘するのに重要な役割をしたのは、ヴィクトル・デ・サバータらしく、彼は「今日からの半世紀の間、彼は音楽の概念をリードしていくだろう。」といったそうです。確かに、実際そうなったわけですが。


カラヤンの尊敬する対象が、主にトスカニーニや、サバータというイタリア系の指揮者であることに、ちょっと興味があります。カラヤン本人も、もしかしたら、その名前から「ギリシア系」かな、という印象もありますし、本来、カラヤンはヨーロッパでも、地中海よりの南方系の血筋なのかなあ・・・と。


ドイツで教育を受けたのだから、一種、南方と北方のハイブリッドともいえなくないかもしれませんが・・・。ただ、個人的には、先のアイーダの旧盤の話じゃないですけど、若いころ(そう詳しいわけでもないんですが、おそらく1960年代ぐらいまでかな)に指揮した彼のイタリア・オペラのほうが、カラヤンの素直な素養が出てる気がして仕方がないので。しかも、後年はプッチーニなんかもかなり良いけど、本来はヴェルディの作品のほうがあってたんじゃないかな、とも思います。CDで聴くとそういう結果ばかりでもないんで、あれなんですが、要は「カラヤンの資質」についての話です。晩年は自身で、もっと意思的に自分を変えていったんでしょうけど。


カラヤンのイタリア・オペラに結構いいのが多いなあ、と思うのは、そういう理由もまじっているのかなあ、と思いました。




もう少しオペラを詳しく聴いていこうというので、解説本を二冊買いました。おまけにオペラ以外の作曲家の解説本も。読んでいると、どんだけ曲があるねん、と思います。果して、死ぬまでに一体どれぐらいの曲が聴けますか・・・。




後は名指揮者ブルーノ・ワルターの著作、「音楽と演奏」です。正直、彼の「主題と変奏」はまだ読んでないんですね。ずっと再販されるのを待っています。古本では嫌なので。


この本は「主題と変奏」の続編的な内容なのだそうです。しかし、「主題と変奏」を知らない僕にも問題なく読めてます。まだ八割しか読み終わってないんですが、内容はさすがにロマン派の巨匠という感じです。




晩年のカラヤンの演奏法とはまったく真逆の方法論で、両方、読んだり聴いたりすると、相当に興味深いです。

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後は雑考。


昨日新宿駅の地下で絵画の販促をやっておりました。当然、ほとんどレプリカばっかりなんですが、結構良い値段がします。シャガール、カシニョール、ヒロ・ヤマガタ、東山魁夷、平山郁夫・・・やらで。


その中でもミュシャを見つけて、ちょっと眺めてました。その日に買ったオペラの解説本の装丁もミュシャでして。久しぶりにちょっと興味をもちました。部屋に帰って、手持ちの画集を眺めます。




芸術的なアドバタイズメントですよね。最近のポスターが芸術的じゃないというわけじゃないけど、ポスターでも、飽きることなく、ずっと眺めてられるというのは面白いものだなあ、と思いました。アール・ヌーボー特有の唐草模様が素適ですね。