遠野物語・山の人生 |  ヒマジンノ国

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長谷磨憲くんち

柳田国男、「遠野物語・山の人生」。岩波文庫。

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高名な国文学者による日本の妖怪や、原人の存在の研究書。有名なのは岩手県の妖怪調査をした、「遠野物語」。明治時代、現地人への直接的な聞き取り調査によって語られる、不思議な物語の数々。


今でも有名な妖怪、座敷童や川童(カッパ)の他、凶暴な狼や熊の話、あるいは狐にばかされた話など色々あって、面白い。読んでいて思うのは、この作者は決して面白がって妖怪の話を書いているのではなく、誠実に事実を希求しようとして書いている点だ。


実直で正直な人が多かったであろう、当時の農村の人々から聞いた風変わりな話の数々は、現実離れしているが決して嘘くさくはない。


「和野村の嘉兵衛爺、雉子小屋(きじごや)に入りて雉子を待ちしに狐にしばしば出でて雉子を追う。あまり憎ければこれを撃たんと思い狙いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。さて引き金を引きたれとも火移らず。胸騒ぎして銃を検せしに、筒口より手元のところまでいつのまにかことごとく土をつめてありたり。」


確かに何だかありそうかも(?)・・・、という内容。


読んでいると、嘘をつく必要もないような人々の生活に密着した話が多く、それがいかに当人達の勘違いであっても、真実味があって面白いと思う。


また併載されている「山の人生」は・・・はっきりといってしまえば、「日本原人」的な存在を研究する書で、こちらも相当興味深い。山男とか或いは天狗とか、山姥とかという伝説の原因を作るような存在が、かつては日本の山の中に多く存在してことを、この本の中で、柳田国男はにおわせている。それは現代でいう雪男的な存在ともいうべきものだが、著者はその存在について大真面目に語っている。


「そこで最終に自分の意見を申しますと、山人すなわち日本の先住民は、もはや絶滅したという通説には、私もたいていは同意してもよいと思っておりますが、彼らを我々のいう絶滅に導いた道筋についてのみ、若干の異なる見解を抱くのであります。・・・(中略)・・・ところがこの第六種の状態にある山人の消息は、きわめて不確実であるとは申せ、つい最近になるまで数多く伝えられておりました。それは隠者か仙人であろう。いや妖怪か狒々(ひひ)かまたは駄法螺(だぼら)かであろうと、勝手な批評をしても済むかも知れぬが、事例は今少しく実着でかつ数多く、またそのようにまでして否認をする必要もなかったのであります。」


まるでこれらの存在は現代でいう、未確認生物「UMA」を思い起こさせる。

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・・・ちょっと話はそれますが、今回はUMAについての個人的な興味も述べておきます。


こうした、いわゆるUMAについては、中々ちゃんとした形で証明されたものが少なく、現代では単に通俗的なテレビの余興として、面白がられるだけで終わってしまうものが多い。しかし2011年の八月にフジテレビで放送された「カスペ!」の中で、テレビ報道では珍しく、そのUMAに肉薄する内容があった。


それは1920年にスイスの学者によってベネズエラで発見された「モノス」といわれる、原人の存在だ。射殺されたといわれるその一匹の猿人の写真が有名で、このテレビ番組の中でその存在を確かめるべく、番組は南米のジャングルへと向かう。


長谷磨憲くんち

そこで発見されたのは1メートル半にもなろうかという大型の猿だった。番組の中で繰り返し述べられていたのは南米にはゴリラやオランウータンのような大型の類人猿はいなく、もし今回発見された猿(おそらくクモザルの仲間)が新発見ならば従来の通説を覆すことになるだろうということだった。


長谷磨憲くんち

長谷磨憲くんち

その姿は確かに「モノス」にも似ていると思わせた。


映像にこうもはっきり残せたのは珍しいと思う。個人的には「フロリダ・シーモンスター」などの解明もしてほしい。


ただ、こうやって昔のモノクロ写真から実物の存在らしきものが見つかるとなると、他のモノクロ写真に写っている存在も気にはなる。ものによっては太古の翼竜らしきものも移っているものもあるからだ。


長谷磨憲くんち


NHKで大王イカの鮮明な映像が撮られて話題にもなり、最近の技術をうまく使えばおそらく色んな謎の解明が可能だろうとも思う。

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こうして多分、解明に近い思わせるところまでいけるケースは稀で、幸運といってよいだろう。


他方、柳田国男は日本民族学の祖ともいわれ、決して勝手に物事を面白がって創作するような人物ではなかった。しかし十分な証拠がないことと大方の嘘によって、大概の未確認生物や存在は絵空事として馬鹿にされてしまう。


しかし、その存在が実際に確認されたり、本当の意味でちゃんとした研究がなされたものを読むと、不思議と我々の心はほっとする。特に柳田国男の「遠野物語」や「山の人生」はそうだ。


そこで描かれている「妖怪」達は、かつての日本人の生活の中そのものから生まれ存在した。それが決して実在のものではなくても、その存在はきっと彼らには現実だったのだと思う。だから「妖怪」のことを書くということは、かつての日本人の生活そのものを書くということにつながる。また「山の人生」では、もしかしたら日本人の本物のルーツかもしれない、山人の存在を明らかにすることによって、我々のあずかり知らぬ記憶を呼び覚ましてくれる。


純粋に「科学的」というものとは印象が違うが、そういったことがあっても良いと思う、不思議な思い。それが柳田の著書にはある。それに比べれば最近のUMAはもっと科学的な証明を求めているようにも思えるが、根っこにある興味は良く似ているとも思う。


かつてはゴリラでさえUMAと思われていたそうだが、こうしたロマンの追求はまだ全てが終わっていないようだ。