140826
<140716 アンゲロブロスの遺作>
しょっぱなに「旅芸人の記録」を思い出した。
色と音楽、なんというか雰囲気が連想を呼んだ。
<あらすじは勘違いも含む>
アンゲロブロスの母エレニはソ連邦のユダヤ人。
時代背景がイマイチ解らないが、恋人は秘密工作員のようでソ連邦に来て、去り、エレニは妊娠した。
子供は、同じくユダヤ人のヤコブの姉が引き取り育てた。
15年後、ヤコブとエレニは収容所を出て解放される。ソ連邦のユダヤ人政策が変わったためらしい。
ヤコブは家族(姉?)がいるイスラエルへ。
エレニは恋人を探すためアメリカへ。
「私には帰る家がない」というエレニに付き添ってヤコブもニューヨークへ。
恋人はなかなか見つからず、ヤコブはエレニに、自分と一緒に行こう、と誘う。
「私たちは、15年間、いつでも一緒にいたじゃないか」と。
だが、エレニは恋人を探し続ける。やっと見つけた恋人はすでに結婚したいた。
失意のエレニはカナダで暮らし、生き別れた息子に再会する。そして息子アンゲロブロスとやってきた恋人と結婚する。
何年後かのベルリン。
アンゲロブロスは離婚した妻との娘エレニと暮らしているが、娘は映画制作に忙しい父親に心を閉ざし絶望を日記に綴っている。
ベルリンへ年老いた両親、父親とエレニがやってくる。
廃墟のビルから飛び降りようとしている娘のエレニを救い、連れ戻ると母エレニが倒れる。
2人のエレニはベッドで手を繋いで眠っている。
イスラエルのヤコブがやってきて、眠るエレニに別れを告げる。「長い旅だったね」と。
ヤコブは言う。「時の埃は誰にでも降りかかる。」
そして、1人川に身を投げる。
エレニもベッドの中で孫のエレニと手を繋いだまま息絶えていた。
単に、エレニが帰郷し、生き別れの息子に再会し、両親、息子、その娘、その家族にまつわるお話ではない。
エレニとヤコブの秘められた愛の話でも無い。
人は誰でも歴史の中で生きていく。歴史の流れの埃を浴びながら生きているのだ、というような、そういうことを表現した家族の物語。
監督自身の自分の家族への愛惜、追想。
母エレニとは乳児の頃に別れ、再会は長じてから。苦難の旅を生き抜いた母親への哀悼は深い。
父を愛し続けた母。
その母を支え愛し続けたヤコブ。
ヤコブはイスラエルで姉を見取るが、生涯独身を貫く。
ヤコブの愛をエレニは知っているが、生き別れた恋人を愛し通す。
しかし心の奥底でエレニとヤコブは苦難の旅路を共に生きた同志として心は固く結ばれている。
そしてエレニの夫も2人の心の結びつきを知っており、彼はそこへは踏み込めない存在なのだ。
ヤコブが 「The Dust of Time は誰にでも降りかかる、
誰も The Dust of Time から逃れることはできない」と雨の中をさまよいながらつぶやくシーン、号泣。
誰がいいとか悪いではない。
誰の上にも歴史の埃は降りかかるのだ。
ユダヤ人であることが、すでに数奇な運命のもとに生まれたといえるのだろう。
ユダヤ人を描いた映画はその奥底に理解ができない部分がある。
歴史、宗教、差別が複雑に絡んでいるから、無知な者には理解を超えた心情が重いテーマのように流れているのを感じることができるだけ。
歴史的背景や文化をもっと知れば、もっと深く理解できるのだけど。
映画って、やはり、「映像だ」と思った。当然なんだけど。
淡々として深く流れる、音楽、映像。
言葉にできないけど、心に深く沈んでいく映画だ。
邦題の「エレニの帰郷」は、違う、と思う。
原題「The Dust of Time」こそが正しい。
邦題は、前作「エレニの旅」との語呂合わせでつまらない。
