まーこーれーへ


武蔵野ふるさと歴史館にきています


知りたかった武蔵野市の戦後の発展を、知ることができました


【中島知久平と武蔵野市の発展】


まず注目すべきは、中島知久平の卓越した先見性と行動力である。彼は国産軍用機の開発に取り組み、わずか一代で「中島飛行機」を日本最大の航空機メーカーへと成長させ、軍需産業を飛躍的に発展させた。


1938年には中島飛行機が武蔵野(現・武蔵野市)に工場を設立。これにより労働者が集まり、周辺の人口が急増。地域の都市化が進む大きな契機となった。


終戦後の1945年には工場は閉鎖されるが、1947年に武蔵野市が市政を施行し、自治体としての歩みを始める。


1951年には野球場が完成し、地域の文化・娯楽の拠点に。1952年には「さんや商店街」が発展し、生活の利便性が向上。1953年には旧中島飛行機工場跡地に米軍宿舎(グリーンパーク)が建設され、戦後のアメリカ文化の影響を色濃く受ける地域ともなる。


そして1973年、米軍宿舎が日本に返還され、その跡地は公園や公共施設として整備され、市民生活に還元された。

なお、中島氏は、スバルの祖でもあります。