さて今回はちょっと長いぞ。
ちょっと前置きから。
私の結婚は父親に反対されていた。
- もう顔は見ない。
- 娘とは思わない。
- お前(実家の母)のせいでこんなこと(韓国人と結婚)になった
などなど母に文句を言い、挨拶らしい挨拶も出来ずに嫁いできた。
その分幸せに暮らそうと心に決めて前だけ見て生きてきた。
そうしないと、父からの非難に堪え私を送り出してくれた母に許されないって思ってもいた。
泣き帰りたい時も、実家には弱音を吐かなかった。
絶対にこの家庭は守るんだ。
どんなに辛いことがあっても私の居場所はここにしかない。
スポ根精神を発動させ、言葉の壁、食文化の差、生活習慣の違い、慣れない田舎暮らし、色々乗り越えてきた。
夫に対して愛情を感じなくなっても、私の選択に責任を持たないといけない、義務を果たして暮らしていくんだと自分に言い聞かせていた。「家庭を守る」ことが生きる目的?になっていた。
私が理想と現実を彷徨う中、ある人が「義務には権利がついてくるんだよ」と教えてくれた。
権利?
私にも権利があったの?
何の権利?
写真引用:ことくらべ
私は一生懸命家庭生活の義務を果たそうと必死だったけど、家計を自由にしたり、疲れてるから家事を休んだり(特に対 姑とか)、妻として嫁として愛されて労られる権利もあったし、当然要求できたんだ、と今更ながらに気づいた。
妻として嫁として愛される権利なんて主張するものじゃなく自然とそうなってるのが当然かもしれないけど。
我が家に限らず
妻の役目
〇〇家の嫁の役目
母の役目
(逆に夫の役目なんかも然りだが)
慣例で求められる無償労働って義務ばかりが先だっていて、それが期待通り果たされないと、母親(嫁)なのにから始まる小声が溢れる。
性格的に義務だの権利だのっていうのは合わないんだけど、私に権利があったなんて目から鱗。
そんなある人には当たり前の権利に驚いている自分が情けなくもあり。
離婚の理由作りといえばそれだけなんだけど。
そもそも、個人の自由って観点から
価値観の合わない人との結婚生活を続けることに善きも悪きもなく...。
今回のひとりごとはここまで。
お付き合いくださった方ありがとうございます😊
