台風来てますね。

 
切符持ってたW杯の試合がなくなってしまって、しょあーん。
じゃぁQ開いてたし、枠空いたし、今日行ってみるかね、当日券で野田地図Q観てきました。

 

写真下からネタバレしつつ、観たままの感想を。

パンフ買ったけどまだ読んではおりませぬ。

(→読んだら、吉永小百合のお手紙ぃぃぃでした。なので感想に変化無し)



 

 

 
 

 

 

 

1幕は源氏と平氏のロミオとジュリエット。

面白い設定&導入だなーと楽しく見ておりました。

 

ロミオとジュリエットが若者とそれから(大人)で2組いる。

若者の初々しさと大人の懐かしさはとても素敵だったし

ベッドのシーンで白い布がファーーーっと覆いかぶさって

若者と大人が入れ替わるのときめいたわ。変身。

好き好き。

 

それが、2幕面影になって、お互いが面影と生きていくってなるのいいね。

こういう時空が歪むのわりと好き。

 

ロミオとジュリエット(時々ハムレット)のセリフで進むんで

野田秀樹のシェイクスピアなのだわねーへー。

孤独と毒を引っ掛けて、バタバタとロミオとジュリエットポイズンの場で1幕おわり。

 

 

1幕終わって面白いか面白くないかなんとも言えんが

とにかくあたしは、目の前に座っている人の頭で、

時折ちょろっとラックビューしては、なんて贅沢な…ラックビュー!

と掻き乱されていたりなんかしてソワソワでした(はい、どうでもいいです)。

 

 

2幕、進むにつれパロディ、パロディ、セルフパロ、極め付けのパロディで、

源平合戦のロミオとジュリエットの運命性が、

どんどんとっちらかって行く。

こんだけ盛れるのすごいとは思うけど、

運命の強さより、パロディが目立って、

そこに知性の軽薄さ(という珍しい感覚)を感じてスーッと冷めてしまったわ。

 

 

シスターの格好で、野戦病院。

ワルキューレだヨカナーンの首だといいつつ、

首実検にギロチンが出てきて、ねぇわかってやってるんでしょ…カルメル会に謝れー全力でー。

もーやっぱり感じ悪いわぁーのだひできー。

 

古今東西のいろいろな物語いろいろ乗せ。

死者の家から(レミゼと島抜けもか?目の前にいるし)と露骨に俊寛とあれはなんだ?

ドンジョの地獄落ちの前の晩餐かいな?

って集中しながら気が散って、迷子。

元ネタを探しにきたのではないんだけどな…。

どうしてそうなっちゃうかってあたしごときでは、

主張がどすんと通ってないと迷子にさせられちゃうわ。

 

紙飛行機の銃弾やライフル銃を弓にしていて、

パラソルもきれいで演出アイディアはあれど、それで?っていう感じある。

 

Queenの楽曲が使われてるけど(聞いたことはあるが詳しくない)、

それが効果的かどうかはわからなくって、

歌詞と場を合わせて、必然性を感じるのもあったけど、

桜の森でジャンニスキッキかけたり、

研辰でカヴァ間奏曲使っちまう人なんだもんなーという気ぃしました。

Queenの音楽はQueenのストーリーQueenのものなんだ。

つまりそこまで芝居と親和性が無い。

音楽と場にワクワクワクワクみたいなの無い。

楽劇じゃなくて演劇だからこれでええのか。

 

外題にKABUKIってつけてるのなんだったんだろかー。

 

 

今日は手紙が届かない、昨日は手紙で熱狂する(オネーギンね)舞台を連日みたわけで、

30年経った真っ白な手紙はなるほどアイディアは良いのだけども

なんだか心に強くは迫らなかった。

セリフでいってるほど、人と人の感情がぶつからない繋がらない肩透かし。

それが狙いなのか、伝わらないのかわからないが、

その作品の力が、古典と新作ではかくも違うもんねと思っちゃったりなんかして、

情報量の質が、ここまで引っ掻き回された軽薄な印象が拭えなくてでした。

知性をもてあそんでいるみたいに感じたんだわ。

 

昨日観たベルトマンの観ろーー聴けーーー

スタニスラフスキーを掘り下げまくって

プーシキンとチャイコに迫る、生きるロシアの魂オネーギン!みたいなほうが、

わたしは心地よく打ちひしがれるわけだな。

 

 

松さんは、さすがでした。

広瀬すずかわいいし、松さんの面影があってすごくいいじゃないの。

橋本さとしはいろいろずるいです。

上川隆也みたいな太めの甘い顔好きです。

 

去年はあんなに桜の森に恋しましたね。夢のようでしたね。

姫に恋して、2人の宿命に熱烈に恋したあれは、

若さ、知性のフットワーク、安吾が極まってたんでしょうねー。

それに今の野田秀樹が、過去の野田秀樹を客観的に見ていたんだろうなー。

今回のQは、作り手が年齢重ねて、作品をこのテンションで盛られると、

盛られる方向に強いテーマが見えないと、

(西洋ものには神の存在があってほしい)

なんだか逆に引いちゃう現象でした。

最後まで、刺さんなかったし、刺してもいなんだろうかね。

 

とはいえ後半は、席の目の前が近い未来のクシャナ殿下ということを

忘れるくらい集中して観てました。(そのお隣は昭和のランナーでした)

 

 

いいシーンもたくさんある。

情報量は多いから、まーまたモニョモニョ考えよ。

 

12月の前売切符は買えてるんだけど、もうそれまで行くことはないかなー。

それも手放してもええかなー。

 

という観たまま雑感想でしたー。

 

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1日、2日と経って。

 

野田地図、全体何かこの既視感…ってわかったスッキリー!

納涼の弥次喜多だわ。

パロディパロディ元ネタ何個わかるかな?

2人組×2。

 

作品は必ず何かに似てしまうものかもだけど、情報量でかかって来られると、

ふっと良からぬものにも連携してしまう危険性が生じるんだな。

 

そんなものとリンクしてしまった自分の感性が悲しいワ…という態度をとりつつ

もっとワクワクする筋書きのいいドラマをみたいんだもんだ。

 

まだなお、テーマの網羅追及よりも自己顕示欲、それも刺々しさに包まれているものを

見せられてるように感じてならないの。

 

そうすると元ネタ何個わかるかな?を前面に出してる娯楽弥次喜多の方がまだよいのかもな。

 

だからもうこのアプローチじゃないんだろうなぁ。

色々盛り込んで並べてまとめてできました修士論文なんとか60点、みたな感じしてる。

舞台ものとしての完成度が低いとは言わないけど、

盛りはすごいが散らばりすぎて、網羅性が高くない。

多角的なアプローチ、テーマの一貫性が見受けられないと感じる。

作・演出を1人の人間が指揮を執る限界だなぁ。

 

拙い言葉でございますが、何日か経って、なんだかあれは

わたしにとっては、すごい盛りだけどもっかいいくー!にはならなかったよね、

なにがどうして面白くなかったのかということを考えてみましたわ。

 

 

じゃぁいままで最近観に行って面白かったと思うものはなんなのかって、

アンドレアスホモキ演出のヴォツェック、

バリーコスキー演出のマイスタージンガー、

リンマニュエルミランダのハミルトン、

昨年、野田秀樹演出の贋作桜の森の満開の下です。