real
「…オマエには非常識が必要だったんだろ?
オマエは生きていることにrealityを見出せなかった。だから「精神世界での死」ってゆーrealを求めた。
オマエにあるのは生きることへの飽きと、孤独、それと退屈。
マオはまだ子供だったんだよ。
賢い子供で失敗なんかしたこともなかったんだろ?
だからその痛みも知らなかったんだよ。
躓いて転んだ事がない人生っつーのは意外と大変なモンだよ。
何しろ転びかたを知らねーんだから。大怪我だってば。
だから、転んじまったことをなかったことにした。
オマエには不幸にもそれを無かったことにするだけの能力があった。
生きていくことをゲームだと思うことにした。
理解もしてくれない大人たちが与えてくれるゲームのendingを、
いわゆる「世の中の価値観」ってヤツを鼻で笑うことにしたんだよ、オマエは。
まぁ、そんなのは自分を理解しようとしてくれなかった、
中身を見てくれようとしなかった、
みすみす自分を孤独に貶めた、近しい人間への復讐だけどね…このガキ」
言いがかりだ、と反論しようとした。
退屈だったのは確かだけど、、、
but、復讐なんて思ったこともなかった。
でも、ホントはどうなんだろう?
心の広い父を持ち、人格者の母と、優しい兄を持った。
だけどその父も母も兄もァタシの中身を見ようとはしなかった。
ァタシの孤独を知ろうとはしなかった。
特に父や母に思うところがなかったわけじゃぁ、ない。
正義の為にその身を粉にすることは正しいけれど、そのぶん家庭は二の次にされがちだった。
別にないがしろにされたわけじゃなくて、父と母が精一杯仕事も家庭も大事にしていたことは知っている。
だから仕方ないとわかってる。
だけど、目に見えない寂しさと苛立ちは募ってく一方だった。
as a result、
優しく真っ直ぐな兄に褒めて貰いたかった。
だから運動も勉強も頑張った。いい子であり続ける事に努めた。
but 皮肉なコトに、その分だけァタシ自身に関する関心は離れていった。
『この子は大丈夫だ』というレッテルを貼られた。
周囲のァタシに対する評価も同じだった。
ぁげくのはてには、『MAOなら当然』と言われるようにもなった。
その苛立ちは徐々に、、、
傍にいて刻々と、だけど確実に昏ぃモノを抱えていくァタシに気付かない両親にも向けられた。
家族が、決して愛しくなかったわけじゃない。
だけど、息苦しかった。
辛かった。
家族なのに、除け者にされたみたいな自分が悲しかった。
社会の枠組みを踏み外す前に、いっそ怒られるような事をすればいいのかもしれなかったけど、出来なかった。
あんなにいい子に努めてきたのに。いい子をやめたら、どうなるってゅーんだ。
ァタシという人間を測る時、それはいつも外側に限ってのことだった。
身長、容姿、成績、経歴。
一切合財、そういったものでしか測られなかった。それしか知らなかった。
ァタシが身を投じたのは、退屈から逃げるためのgameだったのと同時に、
家族に対する反抗だったのかもしれない。
大きな大きな反抗期。
ぅん、きっと、そんなものだった。
home
東京のHOMEに行ってきました^ω^☆
誰とも血は繋がってないケド、こーゆーのが
「家族」ってゆう感覚なんだろぉなぁ、って思います。
上京以降、「家族」に対する考え方が少し変わりました。
少しだけ。
staffとカードゲームしたり、
A-crewsと飲んで語って笑ったり、
AIと夕がた、目黒まででっかぃラブラドールの散歩に行ったり、
つばちんと画材買いに行ったり、
Bossと行き付けの鶏肉屋に刺身を買いに行ったり、
宮田クンのささやかなWedding祝いに、みんなでたこ焼きを大量に注文したり。
今みたいな「準」じゃなくて、ホントの社会人になったら、
もうこんな風に、自分をずっと育んで来てくれた周りの
ちっちゃぃ優しさ「だけ」を大事にしては動けないのかもしれません。
大体そんなに頻繁に会えないだろうし。
それこそいつか結婚でもしようものなら、、、トカ、まぁ
先のことはもちろんわかんなぃんだケドさ!
ただ、ァタシがKIDSであることを全面的に許される最後の場所も、
あと半年ぐらぃでお別れかぁと思うと寂しいものがあります。
earnin' money を真剣にこなして
生を繋ぎとめてかなきゃいけなくなります。いずれは。
金融もマーケティング理論も政府も、personal selection の前には無意味です。
論理も数字も通用しない世界は確実に存在すると思います。
& what ez more,
世界こそがフィアスコ(大破局)を食い止める唯一の力に違いなぃと思うんです。
確信めいた予感みたいなものです。
サブプライムのデフォルトリスクは1%と言われてました。
今、その1%がぉこってます。
but、景気が底を打つまでの防波堤は、いつだって周りに逆行する
personal selection です。
maybe, it can be called MINORITY'S COUNTERATTACK(マイノリティの逆襲).
Scolars call it DIVERSITY.(ダイバーシティ)
Old men call it EXPERIENCE.(経験)
Priests call it the GOD.
& i call it the WORLD.
I and 愛
この幸せを何で伝えよう?
投げた愛の数かな?
受け取った愛の数かな?
涙を流した曲の数かな?
心を奪われた絵画の数かな?
息を呑んだ景色の数かな?
優しく撫でてくれたコトバの数かな?
うぅん、、、ァタシの命の瞬間の積み重なりで数えよう。
不安に襲われて、その中を覗き込んで、
それでもァタシが未だココに在るのは。
静かに寄ってくる目に見えない恐怖に、足をとられて、
それでも息を切らしながら、ソコから足を引き上げるのは。
「ソレ」がアタシを愛してくれるから。
全部を忘れさせてくれるから。
心を暖めてくれるから。
ァタシの中の誇りを呼び覚ましてくれるから。
ありのままのァタシを慈しんでくれるから。
ァタシにァタシ自身を気付かせてくれるから。
今この瞬間の奇跡を一緒に喜んでくれるから。
悪ぃ夢に襲われたァタシに何が現実かを教えてくれるから。
That is why I am still what I am now.
その現象を、ァタシは愛と呼びます。
Dear my bro
「生きてる実感ってなに?
どうすれば自分が生きてるんだと感じられる?
呼吸を止める?カッターで傷付ける?
でも、それで確かめたとしても、ォレはただ死んでないんだとしか思えない
生きてるってなに?」
そんなことを訊いていたヒトがいました。
大事なヒトです。
ひとつめの、「生きている実感ってなに?」に対するァタシの結論は、
その時点では、「そぉゃって悩んでる苦しみ(agony/「生」に対する憎しみみたいなモノ)」が、
生きてぃる実感です。
死んでなぃ、ってことが生きてるってコトで、生きてなぃ、ってことが死んでるってコトでも、
別にいーんじゃなぃんでしょーか。
もぉひとつの問い、「生きてる」ってナニ?っていう疑問には、
「ァタシにとって」は、「愛」です。
全ての事物の「本性」に意味は無い、とァタシは本当に信じています。
つまり、GODもDESTINYも、HEAVENもHELLも、VURTUREもEVILも、
(そういぅ意味では)何も信じていません。
「生」に関しても、
生きて死ぬこと「それ自体」に何か意味があるとは、これっぽっちも思っていません。
全ての事物の価値は、その対象と、そのヒトとの間の個々の関係性で、個々に決定されると思います。
だから、
What is LIFE? の答えは、
Nothing.です。
それ以上でもそれ以下でも在りません。
What is life for you?
なら、さっき言ったように「愛」ですが。
ァタシにとってのLifeは、愛を与え、与えられ、たくさんのヒトを巡ってまた自分に還ってくる
「愛の循環」の実現です。
その媒体が「MUSIC」だったり「ART」だったりするワケですが、、、
生きる意味や、人生への答えが欲しいなら、「掴む」しかないんです。
ァタシは「愛」を見つけました。
ただ、その答えも、誰かと共有できるものでは、決して在りません。
人の心を100%理解することは不可能ですから。
前は「自分らしく」をよく考えていました。
自分だけにできること。
自分だからできること。
誰かの心に残る仕事をしたいとか、何かに影響を与えたいとか。
でも今は、「ただ世界の中に在る」貴重さも併せて考えるようになっています。
誰にも何にも囚われず、自分自身の価値観と素直に手を取る。
その過程で誰かを救い、支えるコトができれば、これ程素敵なコトはないように思います。
誰もが、自分は賢い部類のニンゲンだと思っていて、「バカな」人間に文句を言う日々を送っています。
それこそが、愚かで幸せで、とても素敵な生き方でぁるコトも、
今ならなんとなくゎかる気がするんです。
♪
螺旋階段や高層ビルは
金持ちに作らせればいい
僕はただ
踊った足跡が波打ち際に残ればそれでいい
♪
ァタシは、ヒトの例外に漏れず、絶望を知ってぃます。
ヤツは、しつこくて元気で、今でも私は「絶望」を知っています。
以前はよくひっかかれました(・ω・)
取っ組み合い、殴り合いのケンカをしたこともあります。
ただ、ァタシが「死」に追いかけられてた時、「絶望」は、
最初は中立の立場だったものの、そのウチそこから引き戻して抱きしめてくれるようになりました。
そうこうしているウチに「絶望」は仲良しさんになって、今や1日に1~3回遊んであげるコトで手を打っています。
「絶望」はこのまま歳を取って小さくなっていくんでしょーか?
それとも「狂気」→「執着」→「努力」に変化するんでしょーか?
ァタシ、次第です。
がちがちがち
"世の中がやがて理想に追いつくその日まで、焦ることなく待ち続ける図太さを身につけたい。
いつかきっと、空も私に屈服するだろう"
怖くて怖くて仕方ない。
生きてるかな。
死んでるかな。
この時期はこんなに怖い。
こんなに、こんなに怖い。
「はい、13時00分ね」
あの一言を思う度に、全身の血が下から凍りつく。
心臓が痛みのあまり、硬直する。
「終わり」という選択肢を捨てることが、ァタシにもできるんだろうか?
やり方は、知っている。
でも、理解ができない。
damn it, damn it, DAMN IT !!!!
♪
流るる意思を以て 動かぬ意味を越え
僕には二つ心臓がある 君を思うと動き出すのが...
♪
理想と現実の落としドコロの見つけ方が解らない。
目の前のコトに振り回されて、本当に大事にしたかったコトを、見失っていた。
信頼を、失うだろう。
......八方美人は、ダメだ。
自分の責任で行動する以上、半分の人間に嫌われるコトを覚悟しなぃといけない。
そこから彼らとどう向き合うかは、腕の見せどころだけど、
嫌われる"リスク"をとれないんじゃぁ、ただのバカだ。
全部大事って言うのは、全部要らないってコト。
みんなに好かれるって言うのは、みんなに嫌われるってコト。
博愛主義なんて、誰も愛してないのと同じだ。
そんな当たり前のこと、知りつつも眼をそむけていたァタシへの、
これは、罰だ。
モノスゴイ勢いで、反省。
素直で真摯で真っ直ぐな気性で。
泥にまみれようがなんだろぉが、何でも笑って受け入れて。
自分自身の手で世界を感じ、自分自身の言葉で世界を語る。
それが、ぁたしのいいトコロ。
だけど、もっと大事な人を切り捨てる冷淡さ、
客観的な利益を迷わず掴む冷酷さが、ァタシには必要、だ。
but to tell da truth,
必要だ、と思うだけで、
本当はそんなモノ、欲しくない。
「マオがマオとして生き続けるなら、それで俺らは満足だけど?」
「オマエの周りが良いヤツばっかりなのは、オマエが周りをすげー大切にしてるからなんだろぉな」
「キレイな言葉だね。マオのそぉゆうトコロが素敵だなと思うよ」
嬉しくて泣くかと思ったよ。
ありがとう、my bros。
流るる意思を以て 動かぬ意味を越え
僕には二つ心臓がある 君を思うと動き出すのが...
♪
理想と現実の落としドコロの見つけ方が解らない。
目の前のコトに振り回されて、本当に大事にしたかったコトを、見失っていた。
信頼を、失うだろう。
......八方美人は、ダメだ。
自分の責任で行動する以上、半分の人間に嫌われるコトを覚悟しなぃといけない。
そこから彼らとどう向き合うかは、腕の見せどころだけど、
嫌われる"リスク"をとれないんじゃぁ、ただのバカだ。
全部大事って言うのは、全部要らないってコト。
みんなに好かれるって言うのは、みんなに嫌われるってコト。
博愛主義なんて、誰も愛してないのと同じだ。
そんな当たり前のこと、知りつつも眼をそむけていたァタシへの、
これは、罰だ。
モノスゴイ勢いで、反省。
素直で真摯で真っ直ぐな気性で。
泥にまみれようがなんだろぉが、何でも笑って受け入れて。
自分自身の手で世界を感じ、自分自身の言葉で世界を語る。
それが、ぁたしのいいトコロ。
だけど、もっと大事な人を切り捨てる冷淡さ、
客観的な利益を迷わず掴む冷酷さが、ァタシには必要、だ。
but to tell da truth,
必要だ、と思うだけで、
本当はそんなモノ、欲しくない。
「マオがマオとして生き続けるなら、それで俺らは満足だけど?」
「オマエの周りが良いヤツばっかりなのは、オマエが周りをすげー大切にしてるからなんだろぉな」
「キレイな言葉だね。マオのそぉゆうトコロが素敵だなと思うよ」
嬉しくて泣くかと思ったよ。
ありがとう、my bros。
あけましておめでとうございます。
♪
If you give me a chance,
apologize and i say "Girls, be ambitious".
独りぼっちの夜、訳わかんねぇ不安に、逃れえぬ恐怖、
泣きたくなるよな孤独が、君にもおそらく訪れるでしょう?
♪
どんなにムダに見える仕事だろうが、
お客の来ない展示会だろうが、
非効率な販促員だろうが、
ァタシは体制側の人間だから、やるんだ。
どんなにクダラナイ規則だろうが、
ァタシは人の中で生きると決めたから、守るんだ。
その中でしたたかに、けれど確実に、
気に入らない現実は変えてやる。
その中で自分をどう持っていくか、
自分の理想と現実の折り合いをどうつけていくかは、
自分の自由なんだから。
退屈だったから勉強した。
退屈だったから努力した。
幸福な子供と言われてしまえばそれまでだけれど、それしか知らなかった。
世の中には自分と他人しかいなくて、ただ、どう関るかが提示されていただけだ。
勉強した、努力した。
そうしたら望んだものは手に入ってしまった。
だから外の世界に興味が失せたんだ。
そうしたら向ける先は自分しかなかった。
Leidensheftの矛先を自分自身に向けた。
it can be called a kind of VIORENCE.
"努力"なんて人に認められるためにするモノだと思っていた。
あの頃のアタシは好きでしていた訳じゃない。
認められると言う日本語で以って、屈服して貰うコトでしか、
生きている実感が持てなかった。
人を屈服させるだけさせてしまった(屈服させた、と自分では思っていた)から、
今度は自分を屈服させるコトにした。
「昨日の自分に克つ」
「成長(今となってはアヤシイ言葉だけれど)」
「ぁたしのァタシに対する敗北なんか、絶対絶対認めない」
認めてあげなければいけなかったのに。
勝ったァタシじゃなくて、敗けたァタシも。
勝ったぁたしはいつだって、勝つための費用を(全ての"悪"を)
敗けたァタシに押し付けて、"ぁたし"から分離させようとした。
敗けたァタシは"ぁたし"から離れることもできず、
どんどん「死」を溜め込んでいくだけ。
勝つぁたしは「死」から逃げようと、より大きな暴力を、敗けたァタシに叩きつける。
何のことはない。
ぁたしタチは、お互いが、お互いを抑え込むコトばかりに死苦八苦していた。
"敗けたァタシも認めよう"と言うより、
勝ちとか敗けとか、考えること自体が間違っていたコトを認めよう。
勝ってしまえば、敗けるものがいる。
勝者も敗者も自分だ、なんて救いようがないじゃない?
だから、内側じゃないんだ、外を見るんだ。
ただ、在りさえすればいい。この孤独を愛するんだ。
ただ、一人の個として存在すればいい。
そして目の前のことから、一つずつ、触れて、変えていけばいい。
理想と現実の落としドコロを探ることは、決して理想を諦めることなんかじゃない。
正しいコトを正しいと叫び続けるコトが、正しいとは限らない。
一つずつ、しなやかに、したたかに。
不可能の中の可能性を探っていく。
だって世界は一歩ずつ、確実に良くなっているのだから。
そうして連綿と、人は生きてきたのだから。
now ez the time to SHAKE HANDS.
ぁたしの中にいた、たくさんのァタシ。
二ヶ月前には、確かに決裂したね。
それも認めよう。
MAO、マオさん、マオちゃん、加藤さん、おまおま、先輩、マオ、まぁや、加藤、マオマオ、まおたす、まおしゃん、かんちゃん、真央、姉さん、まーちゃん。
そして、"me"
知らなかった。
"私"は一人しかいないんだってコト。
だって誰も教えてくれなかったんだもん。
虚無をずっと生きてきたんだ。
全てが崩れ去った時、初めてそれに気付いた。
それから数ヵ月後、あの場所で、自分は物質的に存在していることを知った。
自分のカラダが此処にあるコトを悟った。
だから、何も詰まっていないカラダに、ココロを詰めるコトにしたんだ。
自分をゼロからstartして、一歳、二歳と進んだり戻ったりしながら、
もう一度"生き直し"を始めた。
去年の冬に、そうこうして"自分"が実年齢に追いついた頃、ァタシは本当に困ってしまったんだ。
"次は?"
"次はどうすればいい?"
大学進学もやりたいコトも決まって、刹那感がなくなって、ストレスが消えて。
放して、出会って、無くして、遠ざかって。
そこからは、必死に、ただ必死に生きた。
昔、「自由」に取り衝かれていた。
あの北の大地で "I am HERE!!" と叫んだあの日。
あれから10年。
初めて、"ココに在る"と思った。
I belong to me.
そのMEから解き放たれるコトこそが、自由だったと悟る。
This is me.
ぁたしタチは一人の"私"なんだ。
この自由な空を、私は一生忘れない。
2005「棲」
2006「再」
2007「生」
2008「闘」
2009「成」
必ず結果を出します。
夢は、口で叶えるものではなくて、
手で叶えるものだ、と思う。
If you give me a chance,
apologize and i say "Girls, be ambitious".
独りぼっちの夜、訳わかんねぇ不安に、逃れえぬ恐怖、
泣きたくなるよな孤独が、君にもおそらく訪れるでしょう?
♪
どんなにムダに見える仕事だろうが、
お客の来ない展示会だろうが、
非効率な販促員だろうが、
ァタシは体制側の人間だから、やるんだ。
どんなにクダラナイ規則だろうが、
ァタシは人の中で生きると決めたから、守るんだ。
その中でしたたかに、けれど確実に、
気に入らない現実は変えてやる。
その中で自分をどう持っていくか、
自分の理想と現実の折り合いをどうつけていくかは、
自分の自由なんだから。
退屈だったから勉強した。
退屈だったから努力した。
幸福な子供と言われてしまえばそれまでだけれど、それしか知らなかった。
世の中には自分と他人しかいなくて、ただ、どう関るかが提示されていただけだ。
勉強した、努力した。
そうしたら望んだものは手に入ってしまった。
だから外の世界に興味が失せたんだ。
そうしたら向ける先は自分しかなかった。
Leidensheftの矛先を自分自身に向けた。
it can be called a kind of VIORENCE.
"努力"なんて人に認められるためにするモノだと思っていた。
あの頃のアタシは好きでしていた訳じゃない。
認められると言う日本語で以って、屈服して貰うコトでしか、
生きている実感が持てなかった。
人を屈服させるだけさせてしまった(屈服させた、と自分では思っていた)から、
今度は自分を屈服させるコトにした。
「昨日の自分に克つ」
「成長(今となってはアヤシイ言葉だけれど)」
「ぁたしのァタシに対する敗北なんか、絶対絶対認めない」
認めてあげなければいけなかったのに。
勝ったァタシじゃなくて、敗けたァタシも。
勝ったぁたしはいつだって、勝つための費用を(全ての"悪"を)
敗けたァタシに押し付けて、"ぁたし"から分離させようとした。
敗けたァタシは"ぁたし"から離れることもできず、
どんどん「死」を溜め込んでいくだけ。
勝つぁたしは「死」から逃げようと、より大きな暴力を、敗けたァタシに叩きつける。
何のことはない。
ぁたしタチは、お互いが、お互いを抑え込むコトばかりに死苦八苦していた。
"敗けたァタシも認めよう"と言うより、
勝ちとか敗けとか、考えること自体が間違っていたコトを認めよう。
勝ってしまえば、敗けるものがいる。
勝者も敗者も自分だ、なんて救いようがないじゃない?
だから、内側じゃないんだ、外を見るんだ。
ただ、在りさえすればいい。この孤独を愛するんだ。
ただ、一人の個として存在すればいい。
そして目の前のことから、一つずつ、触れて、変えていけばいい。
理想と現実の落としドコロを探ることは、決して理想を諦めることなんかじゃない。
正しいコトを正しいと叫び続けるコトが、正しいとは限らない。
一つずつ、しなやかに、したたかに。
不可能の中の可能性を探っていく。
だって世界は一歩ずつ、確実に良くなっているのだから。
そうして連綿と、人は生きてきたのだから。
now ez the time to SHAKE HANDS.
ぁたしの中にいた、たくさんのァタシ。
二ヶ月前には、確かに決裂したね。
それも認めよう。
MAO、マオさん、マオちゃん、加藤さん、おまおま、先輩、マオ、まぁや、加藤、マオマオ、まおたす、まおしゃん、かんちゃん、真央、姉さん、まーちゃん。
そして、"me"
知らなかった。
"私"は一人しかいないんだってコト。
だって誰も教えてくれなかったんだもん。
虚無をずっと生きてきたんだ。
全てが崩れ去った時、初めてそれに気付いた。
それから数ヵ月後、あの場所で、自分は物質的に存在していることを知った。
自分のカラダが此処にあるコトを悟った。
だから、何も詰まっていないカラダに、ココロを詰めるコトにしたんだ。
自分をゼロからstartして、一歳、二歳と進んだり戻ったりしながら、
もう一度"生き直し"を始めた。
去年の冬に、そうこうして"自分"が実年齢に追いついた頃、ァタシは本当に困ってしまったんだ。
"次は?"
"次はどうすればいい?"
大学進学もやりたいコトも決まって、刹那感がなくなって、ストレスが消えて。
放して、出会って、無くして、遠ざかって。
そこからは、必死に、ただ必死に生きた。
昔、「自由」に取り衝かれていた。
あの北の大地で "I am HERE!!" と叫んだあの日。
あれから10年。
初めて、"ココに在る"と思った。
I belong to me.
そのMEから解き放たれるコトこそが、自由だったと悟る。
This is me.
ぁたしタチは一人の"私"なんだ。
この自由な空を、私は一生忘れない。
2005「棲」
2006「再」
2007「生」
2008「闘」
2009「成」
必ず結果を出します。
夢は、口で叶えるものではなくて、
手で叶えるものだ、と思う。
The Sky's collapsed.
この一年で一番お世話になった人と、今日(暫くの)お別れをしました。
じゃぁね、バイバイと手を振るのはいつだって辛いです。
他の誰より、ずっとずーっと心を寄せました。寄せてくれました。
コトバの暴力で自分自身を見失った時も、在るがままの自分の理想像と自分自身を気付かせてくれました。
仕事中も、いつもァタシのクダラナイ問いかけに対して、延々真面目に返してくれました。
どんな時も、真っ向からァタシの甘さを指摘してくれました。
年の功とは、こう言うコトを言うのかと、初めて納得しました。
初めてあちら側にそうとは知らずに足を踏み入れた13歳の夏。
あの時ァタシは、世界の一切を信じていませんでした。
でも、あの時のァタシが考えているよりもはるかに、世界は多様でした。
世界は思っていたよりも絶望と悪意に溢れていました。
同時に、世界は希望や光にも充ち溢れていました。
"ふざけんな"と周囲を罵りながら、それでも退屈な日常を生き延びる方が、
カラダを使って自分の頭の中で作り上げた理想社会に近づこうとするよりも、よほど勇気のある行動に思えました。
いや、実際に勇気のある行動なんだと思います。
理不尽な想いを噛みしめながら、そうして人は生きてきたんですから。
光が在って影が在る、それこそが世界の完璧さだということを、
誰もが自分だけは偉大なる例外だと思っていることを、
いつだって本当に大切な覚悟は一つだけだということを、
当たり前の日々を当たり前に生き抜く人間の図太さを、
本当に本当に、しつこく教えてくれた人。
その人は明日から新しい道を一歩踏み出します。
あなたが、あなたのフィールドで頑張れますように。
Bye-bye, Yumi.
Wish you all the best for this special day,
Hope you continue to shine.
...by da way,
どうして、ココロには"option"がないんだろう。
もしァタシのココロにoptionのポジションを張れるとしたら、
ストラングルの買いで、ボロ儲け間違い無しなのに。
dancin' with darkness,
playin' with despair.
こうしてる時が一番幸せ。
リーマン破綻は、ショックだった。
メリルが亡くなったのは、もっとショックだった。
Oxfordの夏、新聞の一面を見た朝、loungeで声無き絶叫と共に、
缶ジュースを取り落としたのを、今でも凄烈に覚えている。
そして今日。
また。
空が落ちてきた。
Americaがゼロ金利突入。
.....時代が、動く。
コレは、警告だ。
最近、自分の将来について甘かったから、その警告だ。
気を抜いたら即、舞台から引きずり下ろされて、「こう」なるとぃうコトだ。
観客の一人になり下がりたく無かったら、全力で駆け抜けるしかない。
知らず知らずの内に、最終的にはヒトに寄りかかればいぃや、ってそんなコト思ってた。
でも保険かけてるヤツに天下は取れない。
天下でなくても生き残れるほど、優しぃ世界じゃぁ、ない。
本当に良い教訓になった。
あの社会の底辺を具現化したような、ゴミ溜めのような、
タバコの煙の立ち込める控え室を忘れずにいたい。
善い悪いじゃなく、ソコを自分の居場所とするコトに、満足するコトがないように。
....だから、
あの日、ずっとあったかい腕に包まれて、
まどろんで居られたらいいと願ってしまった自分がうざい。
隣で走っていくには、
寄りかかっているようじゃダメだと思った。
だって、ァタシはそれが幸せだとは思わないから。
最終的に行き着くトコロはそこかもしれないけれど、
やってみない内から正解に飛びつくのはやめるって、決めたんだ。
しあわせ。
今日は、機会があって、とあるヒトと、仕事で
某会社の社内一斉健康診断大会の現場に入ってきました。
30、40の一般職おばさま御一行のpowerに圧倒されたり。
おじさんの、むき出しの負けず嫌い根性に微笑んだり。
30cm身長を低く入力されたと言って、拗ねだしたお兄さんに絡まれたり。
体重をサバ読んで書き込んで、係の人に訂正されちゃったお姉さんと、イタズラっぽく笑い合ったり。
大荒れの世界の中でも、変わらないものがある。
もちろん、この業界のβ値(景気連動性)が低いコトを理由に、
彼らを、世間知らずの良い御身分だと哂うことは容易い。
独りでせかせかと診断に来てた人もいたよ。
でも、でもさ。
ァタシはあんなに幸せな光景を知らない。
おじさんの、もぅ「おじいさん」に片足突っ込んでるような重役の人たちが、
24・5歳のお兄ちゃんと一緒に、和気藹々と健康診断に来るんだよ。
眼を瞑って片足で何秒立って居られるかっていう計測で、
「20代には負けーんっ!」って意気巻いて、涙目で「足つったあ!!」って叫んでるの。
それ見てみんな笑ってるの。
若いお兄ちゃんも負けず嫌い発動して、頑張りすぎて床にひっくり返っちゃって、悶絶してたり。
それで結局、みんな笑うの。
あっはっは、って笑うの。
笑うんだよ。
紛れも無くこの業界の中枢の一つである本社の中で。
時代を作ってきた人と、時代を作っていく人が、一緒になって笑うの。
こんな、素敵な光景を見たことはなかった。
本当に、いい会社だな、と思った。
かつてSHAREで、とある会社への提案書議題に、ココの買収を候補に上げたことがあった。
その重みを、今になって知る…いや、分かる。
数字は人智の作り出した物だけど、人は人智を超えた産物だってこと。
だから、数字に意味は付けられるけど、人に意味は付けられない。
この幸せな光景を見ていられるあたしは、なんて幸せなイキモノだろうと思った。
もしいつか、この会社をセルサイドのclientにすることがあったら、、、
ぃゃ、どんな会社だろうと、セルサイドのclientを持つことになったら、
決して努力を怠らないようにしよう。
普通に生きて普通に生活して普通に笑う人達の幸せの破壊を、
最小限にとどめる努力を。
決して決して、怠ってはいけないんだと思った。
それに、理由は無い。
無いんだ。
ァタシが泣いたり、ァタシが怒ったり
ァタシが憤ったり、ァタシが憎んだり
ァタシが叫んだり、ァタシが苦しんだり
ァタシが悲しんだり、ァタシが絶望したり
ァタシが決意したりすることは、
ァタシが正しいことの証明にはならない。
Everyone has the right to make mistakes.
だからこそ、善も悪も離れた、自分だけの価値観の在るところでは、
素直に在れるだけの優しさを持ちたいと思う。
ヒトは、きっと、これを倫理観と言います。
そんなモノが、、、
そんっっっっっなモノがァタシに在ったことに、在ることに、
正直、地球がひっくり返るくらい驚いています。
nothing, nothing, truly nothing.
「実際に触れたコトもなくて、問いかけてみたコトもない。
それで何がわかるんだよ?
すぐに答えを出そうとするよな。もう少し粘り強く問いかけてみたらどうなの?」
もう疲れた。
残ってぃるのは、「Leidensheft」 ただ、それだけ。
自分が消え去るとぃぅのはどういうコトなのか。
素性も名も知られず、家族も消して、生きてきた証も残さず、
自分自身を手放してどこまでも自由に生きてぃくというコトはどういうコトなのか。
死ぬんじゃなく、生き続けるコトで、
太陽の光の中に溶け込むように自分がなくなる世界を体感するコトはできるのか。
クダラナイことで笑い合ったりケンカしたり、ハカナイ日々をなんとか生きのびるコトに夢中で、
ァタシはうっかり忘れていた。
本当はいつこうなってもおかしくなかったんだ。
何がァタシを繋ぎとめてた?
No other course,
No other way,
No day but today.
「やりたいコトはね、MA行ってファンド行って、"ほら、ァタシが正しかったでしょ?"って言うの」
そしたらヤツの言うことが、「それって建前ではなくて?」
Yes, it is.
"仕事で"やりたいコトはそれだけど、"なりたいァタシ"はそこにはない。
ァタシはきっと正しい。
いつだって間違いを正そうと奮闘して生きてきた。
でもそれだけ。
アタシは正しい、ホントにただそれだけなんだ。
だけど、自分自身の卑小さ、孤独、嘘と向かい合うのが怖くて、
世の中の正解を自分の答えとすり替えて自分を慰めている。
♪
One phrase glory,
One word before I go,
glory, one blessing to leave behind.
♪
知ってる、わかってる。
it ez REAL ME, isn't it ?
物心付いた時から、これ以上なりたかったものなんてない。