解離性障害も ADHDも 抑うつ症も 不安症も 睡眠障害も どれかしら 当てはまる人は 少なくないでしょう

それらを複数 同時に もっている人は 少ないでしょう

主治医が カウンセリングで 確認したのは 3人の人格と 接する人が増えるだけ増えていく 私のキャクターたち

相手にとって どういう自分でありたいか

あるべきかを勝手に想像から 創造してしまい 飽和状態なキャラクターたちに 翻弄されています

共感は 求めません

そんな人が どこかには いることと 知ってもらえたら 差別ではなく 区別でいいので 存在を認めていって欲しいです

医師から 告げられる 解離性障害

それが どんなものかも知らず

自分の考え方が 人と違うなんて 気づく時は あるでしょうか?

趣味 思考 好き 嫌い 気持ちの上がり 下がり そんな言葉で 片付けられることと 思っていたのに

現代で言われる ADHD  とか 発達障害とか 昔でいう 自閉症とか

幼少期から 集団行動は 苦手でした

それは わがままだという 言葉で 片付けられていてたのに

座っていられない それは 落ち着きのない子だど 言われるだけだったのに

幼稚園 小学校 中学校 高校と 普通と言われる過程を経ていて 高卒で 一部上場企業に ストレートで 就職して

誰も 精神障害を疑わなかったのに

40歳を過ぎて 仕事や家庭環境で ストレスを抱え 失語症になって 初めて 診断される 不安症

そこから 2年に及ぶ 大学病院の精神科の助教授による カウンセリングで 出た答えは

解離性障害

精神障害者であることを認定され

根本には ADHDであることが 診断されるまでの長い年月

年金事務所では

今までは 普通だったんですね

そう 言われながら 障害者年金の申請をしてる自分


なぜ 精神障害者手帳を取得したかというと

災害時に 毎日 服用するべき薬をもらうためのこと

そして 自分で自分のことを面倒見切れなくなった時に 家族に 自分に必要なものを知ってもらうために

ADHDの自分を社会に適合させるために 勝手に 増えていった人格 それが 解離性障害というものだということ

恵まれている

支援が必要な自分を支援する自分が 自分の中にいるのだから

人格を使い分けることは 意図的には 出来なくても 長きにわたるカウンセリングで 気づいたことは 環境的要素で 人格が入れ替わっていると言うこと

置かれた環境 接する人間 耳にする情報 香り 音楽など 瞬間的に そこに 最適であろう人格が 現れること

でも 辛いことは

人は 知らないこと 信じたくないことは

ありえないもとすることや 嘘 虚偽 やらせ とか 私のことを自分の定義内で判断し 阻害すること

その考え 判断は わかる

わかることが 辛いことは 医師以外に 誰が 理解してくれるのだろうか

そんな存在に いまだ 出会えてない


わたしの娘は

自閉症スペクトラムと多動症 注意欠陥障害という発達障害をもってます


そんな娘ですが 小学校〜高校まで 障害のある事を公表せず ずっと 頑張ってました


高校三年になり いよいよ 就活


そんな時に 娘に選択を迫りました


このまま 障害がある事を公表せず 就活をするか 障害者手帳を取得して 障害者枠で 就活するか


娘は 手帳取得を決めました



わたしも 悩みました


でも 重度と判定されてる発達障害を隠して 就職しても 娘が 辛い思いをすることが多いだろうと懸念したからです


精神障害二級


診断書を改めて 読み こんなにも 多くのことに 適性をみられずに 生活を送っている娘に ただ 涙しでした


もちろん 本人には その涙は 見せられません



支援学校に入っていたら

普通学校に 行かせ続けていたこと

どちらが 正解なんて 言えないけど 大変な苦労をさせてきたことに 

そして 娘の送ってきた 月日の重さに

わたしは なんとも言えない想いを感じてます


得意と言えることがない娘


コミニュケーションにも 障害がある


そんな中での 就職活動の中


履歴書に 特技という欄が…


娘は 小学中学を通して 九年間 週一のゴルフレッスンを受けてました


障害があることに 理解をしてくださる練習場を営む 社長さんに 出会えたことが なんともでした


そして 六年間 教え続けてくれたレッスンプロ

その後の三年間 教えてくれた レッスンプロ


この お二人には 感謝しかありません


それは 娘を普通の子として 接してくれたこと


それは 娘にとって なによりの心の拠り所でした


学校では なかなか 娘自身を理解してくださる先生には 巡り会えず また 周りの子たちからは 変わり者扱い いじめも 何度もありました



でも 娘は それを苦に 学校を休んだことが一度もありません



そんな娘の特技


それは ゴルフでした


決して プロを目指せるようなスコアではない

でも 人に 誇れるもの 特技と言ったら 娘には それしか ありませんでした


そんなこと ないでしょ 

そう 言われそうですが こう書くことに どんな想いがあるかは お察しください



高校に入り 弓道部に入り ゴルフから 完全に離れた娘 それも 娘の選択でした

二つのことに 力を注げないから



高校三年生 部活引退 就職活動開始


そして 特技 趣味 ともに言えるように 再開したゴルフ


そこで娘が言ってました



練習場で 知らない人から

すごいね!

うまいね!


そう言われることが うれしい



娘がそんな事を伝えてくれたことに 成長を感じ また 誇れるものを持っていること


その誇れるものを与えてくれた人に感謝と


そんな娘をわたしは 誇りに思います