あなたがもし細菌学の研究者で新しい病原菌を発見したとしたら、自らに因んだ名前を付けるだろうか?

 

 日本でコレラが大流行した明治期、コッホのコンマ菌というのが定説だったが、それ以外の病原菌を発見。患者の名から「竹内菌」と名付け、病原菌多種説を主張した人物がいる。

 また、赤痢菌は志賀潔によって世界で初めて発見された志賀菌から100%発病するとされた従来の学説を覆し、その人物はここでも2種の赤痢菌を発見。勤務していた駒込病院から「駒込A菌」「駒込B菌」と命名して斯界の注目を集めた。

 さらに大正に入っても、ネズミ等の咬み傷から感染し症状を繰り返す厄介な鼠咬症(ソコウショウ)の病原菌(鼠咬症スピロヘータ)を発見。その他、炭疽菌の免疫の解明や、日本脳炎の診断法も確立する等、天然免疫学理の証明に大きな功績を残した。

 

 伝染病の流行が世界中で相次いでいた1920年代、医師や研究者は病原体が入った液体をガラス管を使って口で吸い上げる等、感染リスクの高い実験を行っていた。この人物はこの問題も解決。手元にゴムの膨らみを付ける事でスポイト状にし、手指で安心して自在に液体を吸い上げリスクを排除。実験の効率化にも貢献した。この器具を「駒込ピペット」と名付けた。ここでも自らの名を付けず、勤務していた駒込病院から取っている。しかも、誰もが広く使えるように特許も取っていない。

 因みに駒込病院は当時、日本で最も恐ろしい病気とされた伝染病研究の中心で、医師でも勤務は二の足を踏むほどだったようだ。実際、医師が何人も亡くなっている。

 

 日本伝染病学会(現・日本感染症学会)を立ち上げたのもこの人物である。数々の功績を残して文化勲章を授与された(1954年)この人物の名は、二木謙三(フタキケンゾウ/1873~1966年)という。菌や器具には名が付かなかったが、その名は後の世にもしっかりと伝承されて行くだろう。正に医学界の輝ける巨星とも言える来歴だが、その一方で、独自の健康法(二木式健康法)も今に伝わる。

 

 数々の実績からは想像できないが、幼少期より病弱だった謙三は20歳の時、徴兵検査で不合格となる。検査官から「麦飯を食え」と言われて以来、健康と食の関係を見直すように。色々と試して導いた健康法が、玄米菜食と腹式呼吸の実践であり、50歳を前に長年の虚弱体質を克服したと言われる。

 実際、93歳まで生きた訳だから、説得力はある。

 

 だが、この健康法は万人に当てはまるとは限らない。何しろ、塩・油・火食・肉なしの粗食で少量を旨とするものだから。多忙時には寝食を忘れ働け、とも言っている。その半面、「健康十訓」にはよく噛み・歩き・笑う等、頷けるものもある。

 とはいえ、凡夫の当方にはその真似をする気はさらさらない。好きな物は我慢せずに食べたいし、いたずらに欲を抑えようとも思わない。そこが凡夫と偉人の違いなのだろう。

 何事かを成す人は、既にその素質を内に持っている。だが悲しいかな、凡夫には凡夫たる素質が身に付いているだけである。

 

(敬称略)