2月14日は元々キリスト教圏の祝いの日だが、2014年に「予防接種は秋月藩から始まった」キャンペーン推進協議会により予防接種記念日にも制定されている。

 1790年2月14日、ジェンナーの牛痘種痘法成功に先立つ事6年、秋月藩(現福岡県朝倉市)医の緒方春朔(シュンサク)が人痘種痘法を完成させて、初めて人に予防接種をした日である。そして日本に牛痘法が入るまでの約60年間、人痘法は天然痘蔓延予防に貢献した。

 

 春朔は若い頃より家業を継ぐため長崎に遊学、漢方や西洋医学を学ぶ。古くから天然痘の流行が何度も続く中でこれをどうにかしようと医学書を渉猟、清の『醫宗金鑑』に鼻旱苗法という予防法を発見する。これは患者のかさぶたを採取して粉末にし、それを健康人の鼻から吸入させて免疫を作り出すというもの。殆ど無害な牛痘に対し、人痘は危険ではあったが春朔はこれを安全なものに独自に改良した。

  ご存知の通り、天然痘は人類が唯一撲滅した感染症である。だがそれまでは8割の人が罹患し難治で3割が落命、一命を取り留めても痘痕(あばた)が残る厄介な病気だった。特に子供に多かった。天然痘の恐怖は、新型コロナの蔓延以上だったと想像に難くない。

 一方で、天然痘は一度罹ると二度は罹らない事が知られていた。

 

 ただ天然痘患者は隔離策しかない時代、弱毒ワクチンである種痘を人体で証明するのは至難の業であり、人々を説得し普及させるまでにはかなりの苦労があった。予防医学の概念がないのだから、なかなか受け入れられるものではない。しかしながら奇異や侮蔑の目、様々な中傷にもくじけずに春朔はどこまでも強い精神力で信念を貫いた。

  その後、親しい人物から2人の子の種痘の申し出を受け悩む。どちらも命懸けの決断だった。結果は成功、それを千人もの子供に広げて1人の死者も痘痕も出さなかった。

 

 実は、19世紀明け直後から様々なルートで牛痘の情報は日本にも伝わっていたのだが、鎖国の弊害等の足枷により広まらなかった。60年が10数年に短縮された可能性もあったのである。後に牛痘を普及させる緒方洪庵も、それまでの繋ぎには人痘を使った。

 因みに、洪庵の適塾で学び共に種痘を広めた手塚良仙は漫画家・手塚治虫の曽祖父である。この時の種痘所が後の東大医学部へと繋がっていく。

 

 春朔は予防医学を謳うだけでなく、貴賤に拘らず公平な医療を心掛けた。そして医術が漢方秘伝の時代に、希望者には惜しみなくその方法を教えた。元々自らも書から受け継いだ医術である。種痘を普及させるために一般人にも平易な書物を著し、その出典も明らかにした。

 現代に通じる医の倫理を実践した医療の先駆者の1人と言っても過言ではない。

 

 天然痘はワクチン開発から撲滅まで約200年かかった。果たして人類は他の感染症も克服できるのか。生ワクチン、不活化ワクチン、組み換え蛋白ワクチン、ウイルスベクター、DNA、mRNA等々、様々に研究が進んで来た。

 元来日本はワクチン先進国で、水痘や日本脳炎等のワクチンを他国に供与して来た。だが今は世界から遅れたワクチン後進国である。ゲノム編集に不可欠な特殊な遺伝子配列を発見したのが日本人だけに、何とも歯痒い限りだ。

 

(敬称略)