日本の首相がウクライナに必勝しゃもじを持って行った。的外れの瑣末話で感心しないが、むしろ「征露丸」のほうが良かったという人もいる。文字通り、露を征するの意である。日露戦争で日本は勝ったと言われているが、米の仲介で賠償のない講和条約を結んだだけ。露国では革命が勃発しており、日本もそれ以上戦えば危うい状況だった。

 先の大戦では敗戦(終戦ではない)の1週間前に突然、日ソ不可侵条約が一方的に破棄されて北方領土が占領された。この時の最終目的は北海道の占領だったという。「温泉をありがとう」と、北方の湯に浸かりながら悪びれもせずに日本のTVに語りかけるロシア人がいるのが現実だ。

 

 ところで、「正露丸」を製造・販売する会社は数社あるが、日本医薬品製造㈱だけは一貫して今でも「征露丸」の字を使い、ラベルには初代陸軍軍医総監 松本良順の姿がある。ただ、日露戦争は彼が没するほんの数年前の事、軍医以上の意味があるかは定かでない。どうやら、酷寒の地で壊した腹を回復させ戦いに勝つ象徴という事らしい。

 

 時は幕末、彼は錚々たる蘭学医一家に生まれ、数々の修行を経た後もオランダ軍医ポンペに5年間蘭学を学ぶ程の勉学心溢れる人物だった。また、ポンペの医学校併設の洋式病院設立(日本初)にも助手として尽力した。

  身分を問わず病人を無償で診るポンペの姿や「医者は寄る辺なき病者の友である」という言葉から、深く医の在り様を学んだとされる。「医は仁術」が世界共通なのが分かる。

 

  良順は人一倍聡明でありながら偉ぶらず、率直な人柄で親交はかなり幅広かったようだ。将軍侍医にまで上りつめながら、近藤勇や土方歳三等、新撰組隊士達の診察もした。元々彼等は農民や町人である。また遠縁には、榎本武揚や森鴎外等もいた。

  因みに、良順の父は佐倉で病院兼蘭医学塾「佐倉順天堂(順天堂大学の前身)」を開いた人。実子を全て養子に出し、一番優秀な弟子を養子にして後を継がせたという人物だ。

 

 戊辰戦争に敗れた幕府方。良順は一時投獄されたが赦免され、西洋式病院を設立。その4年後に技量を買われ初代軍医総監となる。良順は基礎科学、公衆衛生学をベースに特に温泉治療、牛乳摂取、海水浴の普及を奨励した。これにより神奈川県大磯町は日本初の海水浴場となり栄えた。75歳で没した地もここだった。

 多くの人の薫陶を受け、医に一途で信念を貫いた良順。ポンペに学んだ日欧の違いを認識しつつ病いを治し、日本人の健康増進のベースを作った1人と言っていいだろう。

 

 邦画『ハッピーフライト』では、正露丸の蓋が外れ中身が機内にばらまかれる。日本人なら、その臭いを知っているはず。良薬は口に苦し、鼻に臭し。主成分により昔は「クレオソート丸」と言った。20年位前、我が家の庭にモグラが山を作った時、一瓶丸ごと穴に放り込んだらそれ以来見なくなった。その後、用量過剰だと毒性が高いと聞いた。

 がんの特効薬と騙してプーチンに一瓶丸ごと飲ませる術はないものか。もちろん飲ませるのは「征露丸」だがこれも、しゃもじ同様詮無き戯言に過ぎない。

 

(敬称略)