前回のバイオリンレッスンで出た宿題カイザー13番と鈴木教本第三巻もユーモレスクだった。
ユーモレスクはいつものごとく、音の羅列で音楽ではないそうだ。前のレッスンで弓の使い方を習ったので、それを練習して自分的には出来るようになってきたともうのだけど、どこかが違うらしい。特に「ユーモ」レスクなのにユーモアに欠けるとのこと。先生がお手本を見せてくれるのだけど、もちろんそれは上手だし、私の演奏とは全然違うけど、どこがユーモア的なのかは私には分からない。でも、わからないというのも悪いような気がして、はぁ、、という感じで聞いていた。
ついつい、日本人気質で、そういうところを流してしまうのもいけないのかもしれない。先生は「演奏家の感覚」で諭しているのは分かるのだけど、その「感覚」自体が「そういうものもあるのだろうけど、私は感じない」というを、きちっと伝えないといけないかもしれない。
そういえば、前に大学のピアノクラスでスケルツォをやった時も「遊び心を表現しないと」といわれ、どこをどうすると「遊び心」のある演奏になるのか、全くわからなかった。その時はそれらしきことを先生に聞いたと思うけど、しっかりとした答えはもらえなかった。自分の演奏は言わずもがな、Y〇uT〇beでプロ(だと思われる人)の演奏を聴いても、どこがどうして遊び心のある曲なのかもわからなかった。
これってやっぱり、感受性みたいな問題で、楽器弾きの技術の問題以前で、自分で練習を重ねて、どうこう出来る問題ではないのでは、とも思っている。私は元々(今でも)あまり人(プロ)の演奏を聴いてこなかった。インプットの絶対量かとても欠けけているのは自覚している。そのうえ、誰かの演奏を聴いて「素敵」と思ったのも、多分片手で数えられるくらいだと思う。皆が絶賛する方の演奏も「上手いよな」とは思うけど、どこをどうしたら「絶賛」にたどり着くのかもよくわからない。こういう感性というかセンスのなさというのは「音楽家」としては致命傷な気がする。
話を戻して、ユーモレスクの方は現時点での練習成果をとりあえず、動画にしておいた。