祖父について。 | 長澤真緒理☆お絵かきすとの日常

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長澤真緒理です。イラストレーター兼漫画家です。
漫画を描いたりイラストを描いたりしています。
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先日亡くなった祖父の四十九日を来週行うことが決まりました。

92歳でした。

亡くなったばかりの時は皆様に色々聞いて頂き、本当に助けていただきました。

ありがとうございました。



ずっと書けなかったのですが、少し落ち着いてきたので、皆様にも励ましていただいたこともあり、祖父について書きたいな、と思いました。



祖父とは、私が東京に戻ってきてから12年以上一緒に暮らしていて、4歳までも東京にいたので、人生の大半はともにひとつ屋根の下で暮らしていました。

非常に穏やかで優しく、決して怒ることのない祖父でした。

子どもの頃は銀座で自分の画廊をしていたので、その帰りにWESTのケーキや、ウサギやくまやイヌのぬいぐるみを買ってきてくれたものでした。


画廊を経営する前は日動画廊という日本最大手の画廊の専務を務めていて、大学の時の、同じ画廊に勤めていたことのある助教授から、「画廊の人間であんないい人はいない」と言われるほど、穏やかな人だったようです。


もともと身体が小さく、戦時は兵役免除されていて、戦後はその小さな体で本当に働いたようでした。
1年に1日か2日しか休まないというのが、現役時代の祖父の働き方だったと父から聞きました。


身体を壊して70歳で引退し、私の知る祖父は大体家にいたものですが、散歩に出るのが好きで、よく近所の喫茶店や公園に連れて行ってもらいました。


歳を経て、逆に私が祖父の手を取って散歩に連れていくようになり、足が悪くなってからも10mでも5mでも歩いて、散歩のかわりにしていました。


着道楽で、銀座テーラーの上得意だったお洒落な祖父なのですが、家にいるようになり、殆ど動けなくなってからも最後まで、毎朝起きてから1時間くらいかけてゆっくりと身だしなみを整え、髪をなでつけ、炬燵の前に座っていました。


煙草が大好きで、ずっと1日2箱3箱は吸っていましたが、2年前に病院に入って、ホームで暮らすようになってからは、父が「煙草吸えなくてごめんね」と言うと「いいんだ、吸いたくなくなっちゃったんだよ」と言って我慢できてしまうような、ユーモアのあるものの言い方がやはり好きだなと孫ながら思ったものでした。


ホームでは凄く環境に恵まれて、皆様が親切にして下さいました。
そうしたお仕事に従事してくださる方には、本当に感謝いたします。


今回の地震はやはり祖父にとって良くなかったようで、肺炎を起こして2ヶ月半でなくなりました。
関東大震災を経験しているので、ショックも大きかったようです。
母方の祖父も4月に急に亡くなったばかりで、やはり今回の地震は目に見えないところで非常な影響を及ぼしているのかも知れないと思います。

歳をとった身体には耐えられないものがあったのだと思います。



養子として育てられ、浮名を多少流し(女性に非常に優しいジェントルマンだったので(笑))ここには書ききれない波乱万丈の人生を送った人ですが、考えてみればこの時代に生きた人は多かれ少なかれ波乱万丈と言えるのかもしれません。



関東大震災、戦争、高度経済成長、不況、そして最後にこの地震・・・
波乱の時代を必死で生きた人生で、最後まで穏やかで、人も穏やかな気持ちにさせてくれるような祖父のその生き方を尊敬しています。
それを受け継いでいければ、と思います。



$お絵かきすとマオリンゴの日常

82年2月 画廊にて