MISOJIMATSURIからあっという間に6日
本業のしわ寄せを片付けつつ、この4か月の暴走で壊れ倒してる身体の療養をしながら泥の様に寝ています
もうすぐ落ち着いてくるからみんなちょっと待っててね。





MISOJIMATSURIを振り返ろうと思うと
それはそれはもう一晩かかっても語り尽くせない程
膨大な想いと出来事なのでなかなか文章におこせません。
しかも感動秘話にならないほど壮絶なので抜粋してお話しします。




まずは本当に今回のMISOJIMASTURIが
実行委員みんなにとっても参加者のみんなにとっても
次世代のボランティアメンバーにとっても「最高に幸せな空間」になったという事が心から嬉しく、MISOJIMATSURIに関わってくださった全ての皆さんに感謝をお伝えしたいです。

目標達成の1,062人。


会場にいた全員が笑顔で、30歳という一つの共通項で親近感をもち、周りを思いやり同時に尊敬し、刺激され、新たな出会いと感動にワクワクしている。




メンバーの一人が言った「この会場には人情しかない」
まさにそれがMISOJIMATSURIでした。
とても自由なのにとても穏やかで温かい。
クレームも事故もなく常に笑顔が溢れている。



大人になってからの同い年との再会がこんなにも素晴らしい空間になるとは、主催者の私達でさえ予想出来なかった奇跡でした。

MISOJIMASTURIは、実行委員のみんなが熱意と執念で起こし続けた奇跡の連続で大成功をおさめられましたが
最後の奇跡は参加者のみんなが運んでくれたんだと思っています。



開催が近づくにつれ実行委員は全員心身共にボロボロになりました
集客への焦りや収支への不安で何度も心が折れそうになりました
毎日3~4時まで作業、LINEが鳴り響く。もちろん本業もある
本気で死者が出てもおかしくない極限の状態で
それでも諦めず全員が走り続け迎えた当日。




何も無いガランとした大さん橋ホールにどんどん舞台が組み上げられ、各担当者がそれを彩り、テクニカルスタッフが演出を加え、
会場に参加者が続々と来場してくる。


高揚感を胸に代表挨拶でステージから見た光景はこれまでの全てを忘れさせてくれる程、喜びとエネルギーに溢れていました。



1000人でサントリー ザ・モルツのプルタブを一斉に「プシュッ!!」と響かせて、参加者、演者、スタッフ全員の三十路が1000人で乾杯!!









フロアから次々に「ありがとう!」と言って参加者が乾杯をしに来てくれる。ずっと会いたかった1000人の仲間と杯を交わす喜び。


もうこれだけで十分、私がここまで4か月走り切った意味があったと思っています。

色んなメンバーがFBなどに書いていますが
私はMISOJIMATSURIの発起人ではありません。
代表という立場を担ったのは開催4か月前の事でした。

そもそもは発起人メンバーの一人が私の中学時代の塾の友達で
「当日のMC」を依頼された事がきっかけ。「30歳を1000人集めてフェスをやる」という壮大且つ無謀な企画の演出の一部をサポートをする予定でした。




ただ4か月前に直面した現実は、内容が決まらず圧倒的に近づいている「失敗」という二文字。メンバー内でも混乱が起こり離脱や撤退の空気が大きかった時期。このタイミングでの代表就任は周りから言えば常規を逸していると後日、散々批判と反対と心配を頂きました。皆さん心配かけてごめん。

それでももうこれ以外で成功させる方法が見つからなかったし
私は自分の根性にかけてみようと思いました。
代表は顔であり全てのやり玉。生半可では務められない。
でも私だったら「30歳を1000人集めたい」というみんなの想いを1月17日に届ける為に死ぬ気で頑張れると分かっていたから。
私からは絶対に生まれなかったこのアイディアだから
みんなの夢としてみんなで実現するために顔を上げて前向きに走ろうと鼓舞して代表就任を口にしました。ただ正直その夜、その重みで震えが止まりませんでした。



気合いを入れ直し翌朝部屋で一番、目に入るところに一枚の紙を貼りました。
「MISOJIMATSURIに1000人を絶対集め、会場が最高に幸せで、実りのあるイベントに仕上げることで『三十路の日』を1985年度生まれを歴史に刻む」私が望むMISOJIMATSURIへの目標を誓い毎日自分に喝を入れ続ける。ブレたらまたここに戻る。

できるかできないかじゃない。やるんだ。

そう決めてから一気に猛ダッシュした4か月。
ラッキーだったのは

・人の為に無尽蔵に頑張れる
・全ての欲を制御して1つの事に没頭できる
・人の性質と適性を会って5分で見分けられる

という性質を私が特出して持っていたこと。

企画書作成、協賛営業、演者交渉、メンバー加入お願い、協力お願い、広報活動、集客活動、全部顔を突き合わせて話しに行ったし、やれることは全てやりきりました。
頭しか下げてないんじゃないかってぐらい様々なお願いをして回ったこの4か月間。


何の信頼もない初年度の有志イベントの協賛営業は想像を絶する難しさで全然取り合ってもらえない。頑張るだけでは無理。
本業でお付き合いのあった大手企業の担当者さんにしがみついて
相当無理をして頂いてくいつないだ協賛が徐々に決まり始め

「30歳の祭りなんだから30歳の企業が担わなきゃだろ」とタイトルスポンサーを受けてくださった清水社長
叱咤激励をしながら一緒に営業までしてくれる高校の友人釜石社長という「つながり」のおかげでやっと収支に光が見えここからは集客と広報と全体演出へシフト。できたのが開催1か月前。マジで時間がない。




年間行事もプライベートの時間もいらない。
本業を縮小させてでもMISOJIMASTURIに奔走しました。
毎年恒例行事の「新日本プロレス 1.4東京ドーム」に行けなかった時だけは心が折れかけましたが。(大丈夫。DVD BOX買う)
そうでもしないと「失敗」がどんどん近づいてくるから。

とにかく私の30年の持ちうるもの全てを使いきりました。

とは言え、動物の様にがむしゃらな私ばかりが目立ちますが
私が何より感謝したいのは
その熱苦しい想いに賛同してくれた現実行委員メンバー。
この無理さは尋常じゃなかったから普通なら即効断られるレベル
みんなマジでおかしいなって今でも思います。(笑)

私の代表就任時10名前後だった実行委員は
気がつけば100人に増員。みんなが会ったその日からMISOJIMATSURIを自分の事の様に考えてくれる肝の据わった仕事人ばかり。本当に救世主です。

私よりももっともっとイベントに詳しいメンバー、私の苦手な数字やWEBの管理をしてくれるメンバー、素晴らしい会場演出や映像、デザイン、設営をしてくれるメンバー、どんどん集客広報を働きかけてくれるメンバー、資金面を現実的に打開する作戦を立ててくれるメンバー、私の取りこぼしや全体フォローを迅速に行ってくれるメンバー、時として私を叱咤激励し私以上に傷つきながらも戦い続けてくれるメンバー、私以上に私の身体を心配してくれるメンバー、私以上にがむしゃらに人を巻き込んでくれるメンバー
たくさんの才能と愛情に支えられてMISOJIMATSURIは出来上がっています。
みんながいてくれなければこんな最高のイベントを生み出すことなんて絶対できませんでした。全員の才能を尊敬し嫉妬し(笑)この大好きな仲間と頑張りきれた事が誇りです。


最初は「私が担わなきゃ」という想いばかりだったMISOJIMATSURIでしたが気がつけばメンバーそれぞれを信じて任せられる安心感と幸福感を感じられる程のチームが出来上がっていました。

MISOJIMATSURIの目的は「30代の幕開けに向けた日本最大のつながりづくり」恋愛でも仕事でも友達でも出会いが自分の人生を大きく動かしていくから。

「人生のどん底とターニングポイントの時の出会いは自分の人生を前へ前へ突き動かしてくれる」私の30年での格言を、乾杯の際少しお話させて頂きましたが皆さんにとってこのMISOJIMATSURIでの出会いがそんなきっかけになっていたら本当に嬉しいです。

何より私自身が、この実行委員メンバーと出会えた事で
ここからの30代が大きく前進すると確信しています。

30歳でこんなヘビーな事を担うなんて思いもしなかった。
本当に死ぬ程苦しかった。
でも本当にMISOJIMATSURIの代表を務めきれて良かったです。

こんな得体の知れない初年度のイベントに

御協賛をしてくださった企業の皆様
出演依頼を快諾くださった演者の皆様
食材を提供くださった生産者の皆様
全国から駆けつけてくれた三十路メンバー
熱意を持って参加してくれたボランティアスタッフ
不安や焦りや苦しみや喜びを全て共に担い最後まで戦い抜いてくれた実行委員&サポートメンバー




本当に本当にありがとうございました。

そしてこの想いの熱源を生み出してくれた発起人メンバー
本当にありがとう。みんなの想いが無かったら私は今絶対こんな事成し遂げていないし、みんながいてくれたから頑張りきれました。





文化づくりはここからがスタート
「三十路の日」と「MISOJIMATSURI」は次年度以降も下の世代に引き継いでもらい、ゆくゆくは日本の文化にしていきます。
記念日を創った責任はきちんと担っていきたいと思います。
既に86年度で熱意のあるメンバーが話をしにきてくれています。
想像以上にヘビーだけど頑張っていこうね。(笑)

「三十路の日」の歴史はまだまだ始まったばかり。
まだまだ快進撃、続けて参りますので
1985年度のみんな、次世代のみんな
お付き合い宜しく御願いします!