アントニオ猪木の訃報に、また一つ昭和が遠のいた事を実感する。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 本日3回目のエントリーとなります。

 闘病中であったアントニオ猪木が、本日亡くなりました。2年前から「心アミロイドーシス」という難病に罹っていたそうで、つべのサムネ画像で久し振りに目にした時は、その変わり果てた姿ショックを受けましたよ。プロレスファンとしても知られていた楽さんが亡くなったばかりだというのに…。

 猪木と言えば、姉が熱烈なファンで、留守電が何故か「イノキボンバイエ」になってたり、結婚式の時も一緒に記念撮影を撮っていたりしました(別に仲人を務めていたワケでは無いそうですが)。その姉も、離婚の憂き目を見てしまいましたが…

 そして、驚くべき事に、私の同僚が、闘魂ビンタのきっかけとなった出来事を目撃していたそうです。それは、1990年の早稲田予備校での講演で、予備校生のパンチを腹に受ける余興を行なっていた時の事。その予備校生の一人が少林寺拳法の有段者で、そのパンチが威力のある物だった為に、猪木は思わず反射的にその予備校生にビンタしてしまいました。それに対してその予備校生は「ありがとうございました!」と一礼し、その後東大受験生が「縁起が良い」と猪木にビンタをお願いして、全員合格した事が始まりだったそうです…。

 とにかく、その生き様には賛否両論あったものの、プロレスについてあまり知らない私であっても猪木の事は知ってたりと、日本のプロレス界を牽引していた一人であった事は、紛れも無い事実です。

 

 …それにしても、今年は多くの著名人亡くなったり、ロシアがウクライナに侵攻したりと、縁起のよろしくない年ですねぇ(まだ3ヶ月ありますが)。さすがは、私にとって凶数である「2」が並んだ年だけの事はありますよ。