危ない所だった…(汗)。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 先日、前に勤めていた会社の現況についてネット上で調べてみたら…、何と、その会社があった建物には、現在は学習塾がテナントに入っていて、会社の方は、今年になって、私の使用していた機械ごと、とある最果ての地に移転したとの事です(営業所だけは東京の別の住所にあるそうですが)。この「とある最果ての地」とは、ヘタしたら身バレしてしまうので詳しくは書けませんが、元々この会社の本社がある所でして、かつて私が転勤させられていた精●村…もとい、町どころでは無いド辺境です。もし、その会社に在籍し続けていたら、間違いなくその機械と共にオペレーターとして転勤させられていたでしょうし、そこに転勤したが最後、危うく、東京どころか仙台にも帰れずに、その地で一生を終えてしまうトコでしたよ…(汗)。

 まあ、その「最果ての地」までこの機械を持って行くという話は、私がその会社に在籍していた頃からチラホラあったのですが、この機械というのが、例によって詳しく語る事は出来ないのですが、野中五郎少佐言う所のこの槍、使い難しってヤツで、私がこれまで仕事で使用してきた機械の中では一番相性が悪かった、ちょっとした事で臍を曲げてしまう扱いが非常に面倒臭い複雑極まる代物でした。何しろ、稼働時間よりも整備・修理・清掃をしている時間の方が長い位だったのですから…。この機械、始業時間の30分前に来てスイッチを入れなくてはならなかった割に、しょっちゅう故障しては、修理している間に帰りが終電間際になってしまう事もしばしばでした。それにもかかわらず、社長からは「この2倍の生産をしろ」などと無理難題を押し付けられたり、その社長の意を受けて私に辛く当たっていた上司と、なかなかこの機械に慣れる事が出来ないでいた私との仲も険悪になっていたりしたので、この機械を使いこなす自信も喪失してしまい、結局退職を余儀なくされてしまいました。

 後任には、この機械の経験者、ないしはそれに近い機械の経験者を充てるようにと言い残したのですが、その会社が採用したのは、何と、この業界の事なんか全然無知の、ズブの素人でした…。まあ、会社としては、辞めるヤツの言う事なんか聞いてられるか、という事なのでしょうが、せっかくこの会社の将来を考えての助言だったというのに、当て付けもいいところですよ。おかげで、引き継ぎの際、その新人にこの業界のイロハを一から教えてあげなくちゃならなくって、大変でしたよ(汗)。私が入社する前にも、この機械のオペレーターとして何人も入っては短期間で辞めて行ったそうですが、果たして、私が辞めてから地方に移転するまでに、一体何人がこの機械のオペレーターに就いては辞めて行った事やら…。

 そして、この会社を辞める際、私に無理な仕事を押し付けていた社員諸氏から、口々に「どうして辞めちゃうんだよ!?」と言われたのですが、その時の私は、彼等に対して「手前ェ等の胸に手を当ててよく考えてみろ!!」と言ってやりたい衝動を、辛うじて抑えていました。おそらく、それまでその機械のオペレーターとして入ってきた者の中で、私が一番「マシ」な人間だったからこそ退職を惜しまれたのでしょうが、その時の私は、この機械を扱う事に、精神的にも肉体的にも、もう限界を迎えていたのでした…
 よく、「ブラック企業リストラされたおっさん言い訳」として、「我ながら上手く逃げたものだと思う。あのまま残っていたらどうなってたか…」というセリフがあったりしますが、私の場合、それは言い訳でも何でも無くて、マジの話だったのです。