ホテルニュージャパン火災、40年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 東京・永田町に在ったホテルニュージャパンにおいて火災が発生して、33人の利用客の命が失われてから、本日で40年となります。

 このホテルニュージャパンの建物は、当初は高級アパートとして建てられたのですが、高度経済成長に伴う宿泊客の増加に対応する為に、ホテルへと用途が変更されました。しかし、その構造はホテルとして使用するには不向きな複雑な構造で、その為に、火災発生の際に逃げ遅れてしまった人も多かったそうです…。

 火災の原因は、利用客の寝タバコでしたが、ホテル内の設備は、ワンマンで知られる横井英樹社長の命令で徹底したコストカットが図られ、耐火性の材質の物は一切使用されていなかった為に、あっという間に燃え広がってしまいました。しかも、スプリンクラーは取り付けられているのはヘッドだけで配管はされておらず(意味無ェ…)、火災報知器も館内放送も故障したままで、ホテルの従業員は避難訓練もしていなかった事もあり、当の横井は火事の様子をただ呆然として見つめていただけだったそうです…。

 その横井は、会見では自らの責任を曖昧にして火元となった客に責任をなすり付けるばかりか、横井の命令で、利用客の生命よりも高級家具の搬出が優先されていたそうで、当然の事ながら批判が相次いでいました。従業員は、その横井からの高級家具の搬出場所を指示する電話応対に追われていた為に、東京消防庁特別救助隊の高野甲子雄隊長から「9階に行く非常階段を教えて欲しい」と言われても「今、社長と電話中だ」と言って返事をしなかったので、高野隊長はその従業員の胸倉を掴んで「客の命がかかっているんです! すぐに教えて下さい!」と一喝したので、慌てて非常階段の場所を教えたそうです。宿泊客の生命が守れない人間が、ホテルマンなんてやってはいけませんよね…。後に横井は、その高野隊長に口止め料として賄賂を贈ろうとしたのですが、「どれだけ多くの人が亡くなったか分かっているのか! それを持って出て行け!」と激怒されて追い返されたそうです。まあ、当然ですね…。そして横井は、業務上過失致死傷罪で禁固3年の実刑判決を受け、出所の2年後に死にました

 当日は、北野 武氏も当ホテルに泊まる予定だったのですが、持ち合わせが無かったので別のホテルに泊まる事にした為に、難を逃れたそうです。日航ジャンボ機123便の時といい、人の運命って分からないモノですね…。

 そのホテルニュージャパンの跡地はどうなったかと言うと、こんな火災を引き起こした験の悪いホテルを買い取ってくれるような物好きは居らず、ずっと放置されていたのですが、14年後になってようやく解体され、現在ではプルデンシャルタワーが建っています。

 ちなみに、小田雅弘氏著『ガンダムデイズによれば、アニメージュ1981年4月号の「SFモデル座談会」の会場となったのも、このホテルニュージャパンだったそうです。当時小田氏は、その複雑な構造に戸惑いを感じたそうですが、まさかその翌年にこんな事になるなんて、思いもよらなかったでしょうね…。