ソ連崩壊、30年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「じゃあ、ソビエト地区のどこかの基地にはたどりつけるな……(リョウ・ルーツ談)」。

 

 ソビエト連邦ゴルバチョフ元大統領が、その辞任と同時にソ連の消滅を宣言してから、本日で丁度30年となります。

 1985年に発足したゴルバチョフ政権によって「ペレストロイカ」の名の下に進められた一連のソ連の改革は、国内の様々な矛盾不満を露呈させました。翌年に発生したチェルノブイリ原発事故における隠蔽体質は、その最たる物でした。

 仮にペレストロイカやチェルノブイリ原発事故が無くても、遅かれ早かれ、その計画経済の限界によってソ連は崩壊していた所でしたが、このチェルノブイリ原発事故によって核の恐ろしさがあらためて知れ渡った事が、ゴルバチョフに冷戦の終結を決意させた事へと繋がったのは間違いないでしょう。

 1989年にはこの改革の波が東側諸国へと波及し、ベルリンの壁が崩壊するなどして、東側諸国は民主化への動きを加速させました。そして12月のマルタ会談を以て、冷戦の終結が宣言されました。

 しかし、1991年の8月、保守派のヤナーエフ副大統領ら「国家非常事態委員会」が引き起こしたクーデターによって、休暇中だったゴルバチョフ夫妻らは別荘に監禁される羽目に陥りました。当時、今は亡きスージャンで連載されていた『マーダーライセンス牙(きさま、ふた●りかー!?)』でも、早速このクーデター事件を取り上げてたっけなぁ。その際、ゴルバチョフが外部の情報を入手するのに役立ったのが、日本のSONY製ラジオだったそうです(丁度、同型のラジオが実家に有ったんですよ)。おかげで、監禁中であっても、希望を捨てる事無く頑張れたのだとか。それだけでは無く、保守派がTV局や新聞社を占拠した為にソ連国内の情報が伝わらない状態が続いた後も、当時はまだ一般的ではなかった電子メールを通じて、急進改革派エリツィン(後のロシア共和国初代大統領)の声明を西側諸国に伝えていたグループが居たそうで、その本拠地にKGBが乗り込んだ時、彼等はモデム等の役割が分からなかったので、誰も逮捕せずに帰ったそうです。何しろ、ハイテク分野においては、軍事利用を優先していた為に、西側諸国から30年は遅れを取っていたそうですから…。

 それからエリツィンら急進改革派が台頭し、国内のバルト三国を始めとする各共和国が独立を宣言するなどしてソ連は求心力を失い崩壊に至るのでした。国際的には「冷戦を終結させた男」として高い評価を受けているゴルビーですが、ロシア国内では「ソ連を崩壊させた売国奴」「共産党政権の時の方が良かった」として、低い評価を受けています…

 

 しかし、その領土の大部分を受け継いだロシアは、これまたソ連時代の核兵器の大部分を受け継ぎ、プーチン政権の下でアメリカに対抗すべく、中共と手を組んで再び軍事力の強化に邁進しています。北方領土問題一向に進展していない事ですし、結局のところ、冷戦まだまだ終わってはいなかったのです…

 そして、東欧諸国や、ソ連を構成していた各共和国では、このソ連時代の黒歴史…いや、共産党時代でしたから「赤歴史」と呼ぶべきでしょうか、その時代の記憶を払拭すべく、ロシアで使用されているキリル文字から、西欧でよく使われているラテン文字への切り替えが進んでいるそうです。そればかりか、ナチス鉤十字(ハーケンクロイツ)と同様に、ソ連国旗の「鎌と鎚」の使用を禁じている国家もあったりします。ロシアとしては、ナチスと一緒くたにされる事に対して反発しているそうですが、あの国がしでかしてきた事を思えば、このような扱いを受ける事もむべなるかな、です。