おはようございます😃
寒くなりましたねー💧





突然ですが先週テレビでディズニーの「ノードルダムの鐘」が放映されていました。

以前も書いたのですが私は劇団四季の「ノードルダムの鐘」は3回観に行った事があるのですが、ディズニー版は観た事がありませんでした。
上映時は20歳前後、子育て中も決してキャラクターも可愛くはないのとストーリーが難しいのは分かっていたので観せた事はないまま、私自身も観ないまま初老を迎えてしまいました。







四季版で初めて観た時は衝撃というか、登場人物の誰もが真の悪人ではなくて、結末が後味が悪いのとは違う何か沢山の問いかけがあり、一縷の救いはなんだろう?みたいな事を毎回考えました。
そして、聖堂の舞台セットがまた荘厳で美しく、もちろんアラン.メンケンの楽曲、歌詞が素晴らしいわけです。
…とはいえ重い、暗い、悩む、反省したりもする、一体ディズニーでこれをどうやって…?と気にはなりながら先週やっと観ました。
今までも配信とかで観れたはずですが、わざわざ観るのは避けていたのかもしれません。

で、ディズニー版。
…そうですよね、やっぱりディズニー😁
いいラストでした。
勧善懲悪のディズニー、フロローも(それは仕方ないよ)のラストでした。
それにあくまでもこれは私の主観ですが四季版のフロローよりディズニー版の方が何倍も薄気味悪く、ただ自分勝手で悪い人、みたいに描かれていて子供が素直に(倒してやったー!)と思える人だったような気がしました。
…四季版のフロローはもちろん悪い人なのですが私的には寂しくて悲しい人で憎みきれない人でした。
…だからこそ考えてしまうというか💧





そして最後の町の女の子とカジモドがハグをするシーン。
私は子供達、さもすれば大人に対してもここばディズニーからのメッセージな気がしてここで1番泣きました😁
姿形で人を判断したり、思い込んだりはするものではないと言う事。

私が育ってきた環境より子供達は色々なお国の人達、色々な境遇の人達に触れる機会が多かったような気がします。
それこそ我が家のお孫さん達はもちろんそれ以上でしょう。
肌の色の違い、言語の違い、性別が2通りではない事が当たり前の時代、同じ肌の色や同じ言語同士でも争い事が絶えない国がある時代…
(…これに関しては小さな小さな齟齬は私も日常的に感じてはいますが😁)
自分が正解でも当たり前でもない事、色々な人の話を聞く事、理解する努力をする事、例え事実はひとつであっても物事の解釈は無限にあるという事…それだけが私があの赤ちゃん達に伝えたい事です。
ホントにそれだけ…😁



あの子達が小学生になったら一緒に「ノードルダムの鐘」を観て感想を聞きたいですね😁
そして大人になったら四季版を観てお酒を飲みながら語り合いたい…かな?
いや、そうしたいと思われるおばあちゃん、女性である事が先で、マストですね…💧

さぁ、試検も終わり12月になる事だし、そろそろ気持ちを整理しないと😅

このままだとただのおばあちゃん、お年寄りになってしまう…😭