実家の解体に立ち会うかどうか、最後まで悩んだ。
両親が旅立った今、子供である兄と私が実家の行方を見届けるべきなのかもしれない。
でも、どう想像しても寂しさに耐える自信を持てず、私は移住先にとどまることを選んだ。
解体開始の前日に最終確認に行くという兄に、ビデオ通話を繋いで欲しいと頼んだ。
空っぽになった実家。




今のようなハウスメーカーがなかった時代。
父が大工さんを探し、自分でイメージする家の図面を渡して建ててもらったと聞いている。
父、37歳。
母、35歳。
新築の家に入居するのは、いつの時代であっても心躍る経験だったに違いない。
それから約60年、この家は家族4人を見守り続けてきた。
後から東京にやってきた親戚の拠り所となり、
年末は叔父、叔母、従姉妹が総動員で集まった。
兄が家を出て、
私が家を出て、
両親が2人きりになってからも、ずっと守ってきてくれた。
家を出てからもちょくちょくやってくる子供や孫を温かく迎え、
そして、
母を送り、
父を送り、
今、この家は、家族を守るというその役目を終えようとしている。
私が小学生の頃は、東京の天気予報が30℃を知らせることはなかった。
でも今は、人間の体温を超える暑さに耐えなくてはならない。
この家も、きっと悲鳴をあげている。
最後の片付けのときに、頼みのエアコンが壊れたのは、家からの「もう限界だよ」というシグナルだったのかもしれない。
ビデオ通話で、しばし兄と思い出を語り合う。
ベランダから望遠鏡で星を見たこと、
初めて車がやってきたときのこと、
庭の小さな手作りの池に住み着いたガマガエルのこと…
よく頑張ってくれたね。
雨の日も、風の日も、よく家族を守ってくれたね。
ありがとう。
本当にありがとう。
これからまたこの場所で新しい歴史が始まるよ。
どうか、その新しい門出を応援してあげて欲しい。
私は最後に、家へのメッセージを兄に託した。
兄が「最後の勇姿」と言って、送ってくれた写真には、
雲一つない青空を背景に、西日を受けて凛と建つ我が実家の勇ましい姿が写っていた。