何度か耳にしたことがある、「形見分け」。


昔は、ときどき偲んでもらえればと、親族やごく親しい友人に故人の着物や愛用品を譲ったと聞く。


写真も残っていないケースが多かったし、若くして旅立つ人も多かったからから「形見分け」があったのかなぁ。

今もその慣習は残っているのだろうか。


でも、例え要らなくても「これを故人だと思って受け取ってもらえませんか?」と差し出されたら、「要りません」とは言えないよね。


断捨離&モノを持たない暮らしが流行りの昨今、「形見分け」はありがた迷惑になりかねないということで、兄と私は親戚に声をかけることはやめた。


形見分けではないが、私自身、実家終いで処分すべきかどうか悩んだ(今も悩んでいる)遺品がある。


①母の祖父が母の結婚式に贈った着物を母の長襦袢にリメイクしたもの

⇒母のサイズであることもだが、何しろ年代物であちこちにシミが…


②母の母(私の祖母)の着物を私用にリメイクした羽織

⇒私のサイズではあるが、かなり古典的な柄で、内側はシミだらけ…

母が私に引き継いでほしいと思ってリメイクしたのかもしれないが、これから先私が実際に着ることはないと思う…


③母が結婚式で着用したと思われる赤い長襦袢

⇒知らなかったけど、赤い長襦袢って縁起物で昔は結構あったみたい


④父の昇進祝いで戴いたネーム入りの木彫りの馬

⇒当時、父をかわいがってくれていた恩師からの贈り物。作者不明。40cm四方あって結構大きくて重い。父が午年生まれなので、実家にいたときは、年末の大掃除で毎年磨いてたなぁ…


⑤木彫りの恵比寿様と大黒様

⇒母がこのてのものが好きだったので、いくつかある。お守りもそうだけど、そこはやっぱりニッポン人、こういうものは簡単に処分する気持ちになれない…

(ちなみにお守りの類は神社に返納しました)


⑥父がキッチンで使っていた5センチくらいの小さな置き時計

⇒毎日卵を茹でる時に愛用していた。プラスチックが剥げていたり、ガムテープで補強してあったり、足が片一方折れてまっすぐに立たなかったり、とにかくボロボロだが、晩年の父を思い出す。


さて、どうしたものか。


もし私が受け継いだとしても、私が旅立てば姪っ子がどうしたものかと頭を悩ますことになるものばかり。


いろいろ考えた結果、①〜③については、写真を撮ってから、お線香を焚いて処分することにした。

近い将来、鹿児島でお墓参りをして、改めてご先祖様にお礼を伝えることにしよう。


今も悩んでいるのは④〜⑥


私が引き取って、生前の母のように、恵比寿様の頭をぐりぐりと艶が出るくらいに毎日なでたら、これから先お金に困ることはないかな?と思ったり


木彫りの馬もなかなか勇ましいいでたちなので、大事にすれば風の時代を切り抜けて行けるかな、と思ったり


時計は場所をとるものではないし、宝物として持っておいても良いかと思ったり


あるいは思い切って全て処分したら気分がスッキリするかな、と思ったり


実家終いに向き合っていると、モノに宿る強烈なエネルギーを感じる。

そのエネルギーにあてられて、自分のエネルギーが消耗する。


終活とまではいかなくても、これを機会に自分の住環境もスッキリさせないといけないな。


決断までに残された時間は短い。