実家終いの難関その2


それは、庭木問題。


実家にはところ狭しといろいろな木が植えてある。


ざくろ、さるすべり、さつき、梅、キンカン、シャクナゲ、紫陽花、椿、サザンカ、しだれもみじ、高野槇、さつま柘植、オリーブ、南天、万両、千両、…

これだけあると、さぞ広い庭だと思われるかもしれないが、猫の額のような庭なのだ。きっと地下では根っこが土を求めてお互いに絡みあって、大変なことになっていると思う。


その他にも、薔薇、牡丹、ツワブキ、ジャーマンアイリス、ヒヤシンス、水仙、クリスマスローズ、フリージアなど、あちこちに宿根草や球根が植えてあって、通路を確保するのも一苦労だ。


ほかにも、月下美人、カニサボテン、君子蘭、ボケなど植木鉢もあり、母亡き後は、父が慈しむように手入れを続け、鉢はどんどん増えていった。


生前のある日、父が居間から庭を眺めながら言った。


「maruko。この庭にある木や花は、それぞれがお母さんとの思い出なんだ。お父さんが逝った後、庭木が切って捨てられてしまうのはとても寂しいよ。なんとかmarukoの山(移住先)に移植して、お前に世話をしてもらうことはできないだろうか……」


モラ夫と別居中、私は父が菊や薔薇を挿し芽で増やすのを手伝ったりした。

実家の庭木や植木は、私にとっては父との思い出でもある。

どこかに移植しない限りは、いずれ根こそぎ捨てられてしまうことになるだろう。

父が感じている寂しさは、私自身の寂しさでもあった。


「お父さん、わかったよ。庭木はタイミングを見て私が責任をもって移住先に移植してお世話するよ。約束する。」


私が右手の小指を立ててそう言うと、父は満面の笑みで自分の小指を差し出した。

「ありがとう。ありがとう、maruko。頼んだよ。」


そして父は旅立ち、とうとう庭木大移植計画を本気で検討しなくてはならなくなった。

幸い、モラ夫は私には意地悪だが、動物や植物には優しい。庭木の移植について話したら、すんなりと受け入れてくれた。

植木鉢を運んだり、下草となっている球根を掘り起こしてからの移植となれば、実行は来年の春先になる。


私の移住先は山なので庭木を移植できるが、普通は家を建て直したり、土地を売却するときに切ってしまうのだろうな。

自分だって、移住先で家を建てるために山の原生林の大木を切り倒したのだから、ひとのことはとやかく言えない。


東京都は緑化推進を言うけれど、住宅地の現実はこういうことなのだろう。

広い土地は何十年もかけて育てた庭木を伐採して更地にされ、次の世代で分割して売られ、庭木を植えるスペースもなくコンクリートで固められていく。

そして東京は、コンクリートの上でクーラーの室外機の熱風が吹き荒れる、ヒートアイランドになっていく。


両親が亡くなった今、私がまた東京に戻って暮らすことは多分ないな。

日傘をさして通学する小学生のニュースを見ながら、そんなことを考えた。