実家終いにあたっての私の最初の難関
それは、「お人形」
雛人形も気になるが、私がずっと心の中で気になっていた古いお人形が2つあった。
まずひとつは、私が生まれる前から実家にいたまさに人間の赤ちゃんを模したお人形。
兄が生まれて数年が経ち、母はもう1人、できれば女の子が欲しいと望んでいたが、なかなかコウノトリはやってこなかった。
体温計を片手に、またダメだったと毎月落ち込む母を見て、祖母が母にプレゼントしたのがそのお人形なのである。
母は、お人形の洋服を縫ったり、髪をとかしたりしながら、とても可愛がったそうだ。
そしてしばらくして私を授かったというわけだ。
つまり、母の愛に応えて私をこの世に送り出す役目を担ってくれたお人形なのだ、と私は思っている。
母は私が生まれた後も、私の姉のように思いつつ大切にしてきた。
もうひとつは、幼い頃に私が一目惚れし、母に初めておねだりしてデパートで買ってもらった身長40cmくらいのお人形。
南国風の顔をした栗色の髪の女の子で、洋風のヒラヒラのグリーンのドレスを着ている。
「アルゼンチンの大富豪の娘」といった感じで、私はいつもそのお人形と手をつないで家のなかを走り回っていた。
母が亡くなったとき、このお人形たちの行方を決めるのは、私しかいない、と思った。
例えばこのお人形たちを私が引き取ると言えば、モラ夫は気持ち悪いと猛反対するだろう。
(かなりの年代物で髪も服もバサバサになっており、他人が見れば怖さを感じるのは致し方ない。)
反対を押しきって引き取ったとしても、私が先立てばモラ夫が適当に処分してしまうし、私がモラ夫より長生きしたとしても、ゆくゆくは姪っ子たちがどうしたものかと頭を悩ますことになる。
人形供養をお願いできるお寺に送ろうか。
いや、縁もゆかりもないお寺にただお金と一緒に送るのはしのびない。
はて、どうしたら良いものか…と生前の父に相談したら、父が笑顔で即答した。
「お父さんが逝くときに、一緒に棺に入れなさい。供養しながら、一緒に連れていってあげる」
それはこの上ない名案だと思った。
あれから3年。
とうとうその日がやってきてしまったわけだが、父の葬儀の際に葬儀屋さんに相談したら、ビニールやプラスチックが使われているものは棺には入れられないと言われてしまった。
燃えきらない可能性ももちろんだが、一番の理由はお骨を汚してしまうからなのだそうだ。
確かにそうだ。
父のお骨を汚してしまうのは絶対に嫌だ。
さて困ったな、と思いつつ、火葬場にお経を唱えに来てくれた菩提寺の住職に相談したら、あっさりと「うちで供養しますよ」と言ってくれた。
昨今は環境問題もあって「お焚きあげ」はできないが、きちんとご供養してから行政の区分に従って手続きしてくださるとのこと。
菩提寺でご供養してくださるのなら、願ったり叶ったりだ。
ということで、父の納骨を行う四十九日の法要で、この思い入れのあるお人形たちを一緒にご供養していただくことにした。
法要の前日、私はこの2人のお人形の服を脱がせ、丁寧に手洗いして乾かし、アイロンをかけた。
そして、顔と手を綺麗に拭き、髪の毛にそっと櫛を入れた。
お人形は、なんだか生き生きとしたように思えた。
四十九日当日の朝、ありがとうね、と感謝の言葉をかけながら服を着せ、順番に抱っこしてほっぺにそっと触れてみた。
ふと、母が赤ん坊だった私の服を着替えさせ、腕に抱いたときの温かい気持ちが、自分の中に入り込んできたような気がした。
「お人形は人にとって必要なものなのです。それは故人の『お骨』も同じです。」
四十九日の法話の冒頭で、若い住職は言った。
「故人の心や想いは供養することですでに極楽浄土にあります。物質的に言うならば、お骨はただのカルシウムの残骸にすぎません。本来なら土に返しておしまい、もありなのです。
でも、遺された者は、お骨が納められたお墓があることで、故人を忍び、温かい気持ちになることができる。
お人形という形あるものに語りかけることで人が癒されたり、温かい気持ちになるのも同じことです。本日は心を込めてお父様とお人形のご供養をさせていただきました。お父様は今頃、お人形を抱いて天国でお母様に会い、ほっと一息ついていることでしょう。」
父の納骨のとき、2年前に納骨した母の骨壺が見えた。
「お母さん、久しぶり。今まで1人だったけど、今日からはお父さんも一緒だよ。もう寂しくないね。」
私は自然と母の骨壺に向かって話しかけていた。
住職の言うとおりだ。
猛暑日の四十九日。
お人形たちに注がれた母と私の愛も、父の想いと一緒に天国に旅立っていった。
今頃天国の母は、「いずれmarukoがやってくるまで、お父さんとこの子たちと楽しく過ごすしているから大丈夫だよ」と笑っているかもしれない。