退院後の1ヶ月、父の容態は坂道を転がるようだった。
一週間後には食事をまったくとらなくなった。
二週間後には飲み物もほとんど飲まなくなった。
日ごとに出来ることがなくなっていき、自分でベッドから立ち上がることが出来なくなった。
にもかかわらず、トイレに行こうとしてベッドから何度も落ちた。
次第に眠っている時間が増え、起きている時間が短くなった。
退院後に本人が望んだ皮下点滴だけで命を繋いでいた。
それでも、姪っ子が来てフルートとバイオリンで父の好きな歌を演奏したときは、楽しいなぁ、嬉しいなぁ、とベッドの上で一緒に歌い、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を唱えてみせた。
家族で「気が早いよ~」と大笑いした。
筋力が衰えて、言葉を発することができなくなってからも「苦しくない?痛いところはない?」の問いにしっかりと首を横に振って答えてくれた。
そして、2024年4月27日。
朝、泊まり込んでいた兄が目を瞑って安らかに息をしている父の様子を確認し、顔を洗って30分後に改めて顔を覗き込んだとき
父は、すでに息をしていなかった。
父、94歳は、自宅で眠るように逝った。
おそらくは誰もが望む、やすらかな最期だった。
「お父様は病気に負けた亡くなりかたではありません。とても自然で美しい亡くなりかたです。死因は『老衰』とさせてください。」
訪問の医師はそう言った。
亡くなる1ヶ月前まで人に頼らず、掃除、洗濯、食事の用意、全てを自分でこなす、本当に立派な自慢の父だった。