翌々日、父は退院して自宅に戻った。


「病院なんて、長く居るところじゃない。帰っていいならすぐにでも帰るよ。」

いつもの座椅子に座った父は、この上なく嬉しそうだった。


自宅に戻った父は、数日の入院でさらに足が弱り、もはや手摺に捕まっても自力で立ち上がることが出来なかった。


それから1週間、私は実家で父を介助しながら濃密な時間を過ごした。


幼い頃の思い出をひとしきり話した。

家の庭に小さな池を作ったこと。

そこにガマガエルが住み着いて、桜の木から降りてきた毛虫を食べていたこと。

知人から譲ってもらったつがいの鶏が、産んだ卵を自分で食べてしまっていたこと。

父のお手製の鳥小屋で文鳥をたくさん飼ったこと。

多摩川で釣ってきた鮒を水槽で飼ったこと。

中学生の頃、父と喧嘩して家出をしようとした私に父が「おばさんの家には行くなよ」と1万円を渡したこと…


ゆっくり風呂に入りたいと言う父のリクエストに応え、介助しながら背中を流した。

痩せ細った父の背中は、それでも広かった。


居間のこたつに座ったまま髭を剃りたいという父のために洗面器を運び、頬にカミソリをあてた。

部屋に響くジョリジョリという音が、父が生きている証のように思えた。



ある日、父が言った。


「本当に、いろいろな人に世話になった。みんなのおかげで本当に楽しい、良い人生だった。

この感謝をどういう形でみんなに伝えられるだろうかと考えたよ。

お父さんの葬式は、供花、お香典ともにすべて辞退する。お父さんの人生に彩りを添えてくれたのは、自分の死を悼んでくれるみなさんなんだ。本当ならお礼の品をもって感謝の気持ちを伝えて回りたいところだけど、残念ながら今のお父さんにはそれは出来ない。

だから、供花香典を辞退して、お葬式に参列してくれた皆さんに粗食を振る舞い、感謝の印を渡して欲しいんだ。」

「それは、遺言?」

「そう。遺言だ。それともうひとつ。」

「?」


「お父さんの病名はこれだよ」


父が差し出した封をしてあったはずの『退院証明書』には、大きな文字で「S状結腸癌」と書いてあった。