実家に戻り、これまでのモラ夫との家計のあれこれを腹立たしく思い起こしながら、ふと考えたことがあった。
私の実家は父はサラリーマン、母は専業主婦のごく一般的な昭和の家庭だった。
母は父から預かった給料を節約しながら育児や家事をこなし、ときどき友人と旅行に行ったり、習い事をしたりして人生をそれなりに楽しんでいた。
母の実家で何かがあれば、父が援助したりすることもあった。
父は自分の稼ぎで家族の生活や遊びを賄うことにまったく違和感を感じていなかった。
もちろん、時代背景もあって、当時は女房子供にひもじい思いをさせないのが男の甲斐性。
女房を働かせないとやっていけないなんて、男の恥、という時代だった。
私はそういう家庭が普通だと思いながら育った。
一方モラ夫の実家の大黒柱は義母だった。
義父は職を転々としながら給料のほとんどを酒に費やし、自分が家族を養うという感覚はほとんどなかった。3人の子育てでお金が欲しかった義母は、保険の営業を始めてトップセールスになり、支部長にまで昇格し、義父の収入を一切あてにしなくなった。
もちろん、時代背景は一緒なので、当時の義母は、家族の生活に無頓着で酒を飲んで暴れる義父におおいに不満があった。
自分が一家の主になると、義母は義父の存在意義を見いだせなくなり、離婚して義父を家から追い出した。(義母が退職した後、仲直りして再度入籍したのだが。)
とかくモラ夫は女が強く逞しい家庭で育った。家族を養う意識をもたずに酒を飲んで義母に絡む父と、負けずに応戦する母を見ながら、そんなもんだと思って育ってきたのである。
そして私が社会人になる少し前に、男女雇用機会均等法が施行され、男性と女性が同等の条件で働けるようになった。
それまで女性は男性社員のお嫁さん候補としての採用しかなく、4大卒より短大卒のほうが有利と言われていたのが、いきなり男性と同じですよ、総合職としてどうぞ、というわけだ。
女子大生たちは門戸が広がったことに沸き立ったが、価値観は自分の両親モデルのままだった。
現在、会社役員をやっている同世代の女性の友人がいる。
彼女はかなり稼いでいると思うが、結婚当初から原則として自分の給料を家計に入れることはなく、住宅ローンも生活費も全てご主人が一人で背負っていた。
仕事が忙しくて、家事をやることはできない。たまたま彼女の母親が二世帯で同居していたので、家事は母親がやっていた。
それを聞いたとき、ご主人が奥さんの親との同居を了承した上に、自由に仕事をさせてもらうなんて、友人は大切にされていて羨ましいなあ、と私は思った。
ところが彼女が役員になってしばらく経ったある日、ご主人が言ったそうだ。
「俺ばっかり負担が大きくて、なんかずるくない?きみもそれなりに稼いでいるんだから、なにか負担してよ。」
彼女はこの言葉にショックを受けたと言う。
私だって、誕生日やらクリスマスやら、機会があるごとに、旦那が欲しがっているそれなりのものをプレゼントしたりしている。
夫が、妻が働いて稼いだお金のことを言うと、なんか幻滅する。
彼がそんなことを言う人だとは思ってなかった…
まさに、これこそが昭和モデルの家庭で育った私たち世代の女性の価値観ではないだろうか。
夫が働いて家族のために家を用意し、生活費を稼ぐのは大前提。
妻には家庭に入るか働くかの選択肢があり、働くことを選択するのは働くことが好きだからであって、家計のためではない。
少なくとも私は無意識のうちにそう考えており、友人も同じだったのだと思う。
しかし、時代は変わった。
共働きの世帯が半数を越え、ダブルインカムで家計を賄っていくようになり、男性も家事や育児を求められるようになった。
もしも私が今30代で、この価値観のままだったら、きっと結婚は出来ないんだろうな、と思う。
価値観なんて、人それぞれで違うのが当たり前、と思っていた。
だけど、自分の価値観を深掘りして考えたことはなかった。
価値観に正しいも間違っているもないけれど、自分の幸せを妨げているのは、無意識に刷り込まれている自分の価値観だったりするのかもしれない。
価値観も、時代に合わせて棚卸しが必要だ。