真川さんが屋上で、わたしだけに見せた、よわさ。
それを、隠しておくことなんて、できなかった。
みんなと真川さんの間に流れる、不穏な空気をどうにかするためにも。
心を、ひとつにしなきゃ。
みんなで、同じ方向を向かなきゃ。
いけなかったから。
山田先輩を、呼び出した。
「なになに、めずらしーなあ、高殿から声かかるなんて」
「・・・・・・あのー、先輩。今日は、ほんとーに!真面目ーに!わたしの話、きいてくださいねっっ」
「おー、きくきく。真面目ーにきいてみます。で・・・・・・」
学校から一駅くらい離れた場所にあるチェーン店のカフェで。
わたしたちは、カウンター席に、並んで座っていた。
わたしは、今日のお昼に屋上で真川さんと話したことを、山田先輩に打ち明けた。
「先輩。わたし、何となくひっかかってることがあったんですけど。真川さんのこと、どこかで見たことがあるような気がするんです。それも、何だか、とんでもなく凄い人だったような気がして仕方なくて・・・・・・先輩は、真川さんの正体を、知ってます・・・・・・よね?」
――『あんたたちを、利用するか。しないか。』
最後に言った、意味深な真川さんの言葉。
そして、いつからかずっとひっかかっていたこと。
真川さんを、わたし、知ってるような気がする。
どこかで、会ったことがあった・・・・・・?
「そりゃーな。知ってるだろうよ、もちろん」
腕組みをして深く頷きながら、山田先輩が言う。
「わたしが・・・・・・知ってる?」
そして、観念したかのように苦笑して、わたしを真っ直ぐに見据えた。
「世界中が知ってるさ。俺たちがどんだけ手を伸ばしても、届くことのない、遠い遠いところにいる人。の、はずだった」
世界中が・・・・・・
「あ!」
「思い出したか?」
「まさか、U響・・・・・・UHK交響楽団のサブコン!?」
「ご名答」
どうして気づけなかったんだろう。
よく、ぱらぱらめくる音楽情報誌に載っていたり。
テレビでも、目にしたことがあった。
でもそれは、数年前までのことで。
最近、見かけなくなったなあ・・・・・・と。思ってた。
真川奈津子。
日本が世界に誇る、UHK交響楽団の、サブコンダクターだ。
そんな凄い人にわたし・・・・・・
甘えまくってる!
わたしが、あちゃーっていう顔をしていると、山田先輩は、また、苦笑した。
そして、気だるそうに頬杖をつくと、窓の外に目をやる。
「真川さんの父親は、U響の正指揮者だ。彼は、真川さんを育てることに力を入れていて、近年では国外での公演でも彼女に振らせる機会が多かった。真川さんが高殿に言った、『あんたたちを、利用するか。しないか。』っていうのは、たぶん・・・・・・」
先輩はどうやら、真川さんについて、色々と知っていたようだ。
「彼女が、父親としている、『賭け』のことだと思う」
「か・・・・・・け?」
「真川さんは今、逃亡中なんだ。何か・・・・・・理由は俺もよく知らないんだけどな。父親と縁切って、U響を去ったらしい」
真川さんの、儚く見える横顔が。
思い出される。
胸が、ちくりと、痛くなった。
「けど、父親の方は、執拗に真川さんを追ってる。そして彼女に、ある賭けを持ち出したらしい。彼女が、父親の力無しで、彼女自身の力で、無名の楽団に箔をつけることができたら、真川さんを自由にする。でも・・・・・・」
山田先輩が息を飲むのがわかった。
わたしも、思わず息を潜める。
「チャンスは一度きり。その一度きりで、成功できなければ・・・・・・真川さんはU響へ強制送還だ」
手に、力がこもる。
「真川さんも、いつまでも逃げてばかりいるのは、嫌だったんだろうな。父親のその賭けに、のって。真っ向勝負することを、決意して。で、彼女が選んだ楽団っていうのが、俺たち」
誇らしげに。
でも、どこか、憂いの色をのせた表情で、山田先輩は言って。
そして、わたしの頭に、そっと、手をのばした。
「お前、今回、全然泣いてなかったのにな。泣かせてごめんな」
先輩のその言葉で、初めて、気づいた。
わたしの目から、涙が、こぼれてることに。
そして、ティンパニを叩くのが、怖くなくなってることに。
中学のとき、ティンパニを叩くのが怖くて、嫌で。
あんなにも泣いてたのに。
「真川さんが・・・・・・振ってくれてるからだと、思います」
先輩が、やさしく微笑んで頷く。
「息が・・・・・・できるんです。真川さんが、わたしに、息の仕方、教えてくれるから。その通りにすると、からだの強ばりが、解けて。楽に、叩けるんです」
「中学んときは、しんどかったもんなー。俺も、しんどかった。怖いのはたぶん、高殿だけじゃなかったんだ。俺も。みんなも、怖かった」
思いがけない先輩のことばに、わたしは顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃになった目元を親指でぬぐうと、山田先輩は、今まで見たことないくらい真剣な顔で、言った。
「行くか。全国」
大きく、頷く。
行く・・・・・・
行きたい、全国へ。
「どんな理由があるのかわかんないですけど・・・・・・真川さんはきっと、自由に、なりたいんですよね」
「俺も、そう思う。だから・・・・・・」
全国へ行こう。
決して、楽なことなんかじゃない。
そのことは、わたしが一番よく、知ってる。
それでも、目指したいと思う、理由が。
今は、ある。
翌日。
真川さんが音楽室へ入ってくるまでに。
わたしと山田先輩は、部員のみんなに、すべてを話した。
みんなの瞳の色が、みるみる変わっていくのが、わかった。