心を奪われた。
舞台の上には、あたしの知らない奈々実が、いた。
ティンパニを叩くのが怖いと。
いつだったか、奈々実はそう言っていた。
どこが。
怖がってる子が、そんな目、できないよ。
時に、穏やかに。
時に、挑みかかるように。
奈々実は、奏でる。
開かれたくちびるを見ていると、時折、大きく息を吸うのがわかった。
そして、奈々実がそうして息を吸うとき。
真川奈津子が、奈々実の方を向いているのが、彼女の後姿だけでも、わかった。
真川奈津子の指揮が、素晴らしいものなんだろうということは。
素人目にも、わかるほどだった。
奈々実だけに、注目していたかったのに。
知らず知らずのうちに、真川奈津子に視線が移動してしまう自分に、舌打ちする。
くやしい。
ほんとうに。
ほんとうに、攫われてしまったのかもしれない。
いや・・・・・・
初めから、あたしと奈々実は、何でもなかった。
だから、真川奈津子と、スタート地点は同じだったんだ。
ぼやぼやしてるから。
こんなに、そばにいたのに。
ぼやぼやしてたから。
持ってかれたんだよ。
奈々実の手が、上下に、左右に動くたび。
どんどん、視界が、にじんでいく。
いつまでも、聴いていたいと、思った。
終わってほしくなかった。
もっと、もっと、って。
求めるたびに。
視界はせまくなって。
ああ。
あたし今日、涙もろいな。って。
少し、笑って。
真川奈津子の指揮に合わせるようにして揺れる、奈々実の髪を、見つめる。
もっと、触れていたかった。
ティンパニを叩くばちを握る手に、手を合わせていたかった。
あの夜。
奈々実にキスしなかったら。
今でもあたしは、奈々実の隣で、笑っていられたのかな。
音楽を聴いて、泣いたのは、初めてだった。
好きなひとが奏でる音が、こんなにも心に響くなんて。
強く揺さぶられるなんて。
後悔していなかったことを、少し、後悔してしまうだなんて。
思いもしなかった。
興味本位だった。
あたしの知らない奈々実を、ただ、知りたかっただけだった。
けれど・・・・・・
それだけじゃ、済まされなかった。
奈々実が、遠い。
こんなにも近くにいるのに。
奈々実が、どれ程真剣に、取り組んでいたのかが。
高みを、目指しているのかが。
痛いほど、伝わってくる。
あたし・・・・・・
何やってんだろうって。
大会直前に捻った右足首に、ぎゅっと、力を入れた。
自分は、スタメンをとれなかったあげく、控えにすら、入れて貰えなかった。
とべなくなった鳥は、命がないのも同じだ。
奈々実たちの演奏が終わったあと。
爆発的な拍手が、会場内に沸き起こった。
拍手に、どよめきも混ざっている。
なかなか鳴り止まない拍手の海を。
あたしは、溺れそうになりながら、泳いで。
酸素を求めて、ホールの外へ出た。
呼吸が、できない。
とび方だって、忘れてしまったのに。
息の仕方まで、忘れたみたいだった。