おこんばんは。
1月21日の夜を迎えました。
奈良の寒い夜、
エアコンからの温風に肌をあてながら
ブログを書いています。
あさこさんです。
さて、
もうすぐ娘のニニギ嬢は小学校を卒業します。
学校フリーな暮らしで
毎日好き勝手にエンジョイする12歳は
中学生になっても続くそうです。
楽しそうや。
さて、
小学校に通っていなくても
通知表ってもらうのです。
通っていないので、
全部、ただ、横線が入っています。
担任からの初見欄は空欄になっていました。
そして、この無意味な通知表を見ながら
私はまた学校ってなんだろうと
空虚感を感じてしまうのです。
通知表の評価
テストの点
もしかしたら
大学を卒業して、
社会で働いたことのない
学校の中のみの経験しかない人が
(バイトはしてたかもですが)
その子の、人生にもかかわるほどの
影響が起きる…かもしれない評価を
するわけです。
ある子は
自分は勉強ができる、とか
ある子は
自分はなにをやってもダメ、とか
たった一枚のぺっらぺらの紙が渡されるたびに
その評価を鵜呑みにして
「自分レッテル」を貼っていくわけです。
テストの点が低いとして、
その子の存在価値は
どの子とも同じく等しいのに
その大事な存在価値まで下げてしまったりするわけです。
あるいは、
頑張ってとった高得点をこれからも
下げるのが怖くて必死で勉強して
そのストレスのはけ口が
いじめになったり…。
ここは奈良公園だったかな
かつて、
ニニギ嬢は保育園卒園前に訊いてきました。
ママ…、
テストで0点をとっても怒らない?
怒られるか
怒られないかを気にする小さな女の子の目を
しっかりと見つめて言いました。
怒らないよ。
学校の勉強は大事かもしれない。
でもテストの点数で怒らないといけないほどのことではない。
平均値より高いか低いか、
その点数を見るよりも
日頃の娘のなにに興味があるのか、
なにが好きで、苦手で、
どんなふうに生きていきたいのか
つまり娘本人を見るほうが
ずっと大事だ。
娘はふだん登校していなくても、
懇談で先生の前に座った。
修学旅行にも参加した。
卒業写真も撮りに行った。
だけど、
通知表の所見欄はなにも書かれていなかった。
0点でも怒らないし
学校に行かなくてもべつにいいよ。
娘は中学に入る前に
やりたいことを教えてくれました。
コスプレが好きだから
自分で作れるようになりたい。
合気道を習いたい。
今、通っているアトリエもずっと行く。
娘は
実は
誰かの評価を人一倍気にしていたりする。
実は
どこか完璧でいないと、と思っている時がある。
そんな煩わしさから自分を解放するために
学校に行かないと自ら決めた。
好きなことは続けている。
やりたいこともある。
これからも取捨選択をして
成長していけばいい。
あなたの過去も今もこれからも、
0点ではないよ。
いつだって花マルなんだから💮
誰かの評価ではなく
花マルは、自分で付けたらいい