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4月1日から3日まで、実家に帰っておりました。

 

わたしの新・アトリエの建築は、大工さんが「年度末」の官公庁の仕事が立て込んで、3月後半は手つかずだったそうです真顔

(官公庁の年度末突貫工事の裏の理由を考えると、軽くムカつきますね真顔

 

外壁があと三分の一で終わります・・・

 

足場に上って、ロフトから見えるであろう景色を撮影しました。

 

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海は西側なので夕日がきれいだけど、西日がキツいということで

1階の海向きの窓はほとんどありません。

 

ロフトからのこの景色、とっても楽しみですお願い

 

 

 

猫と二人暮らしになってしまった母は、もっぱら父の四十九日の法要のことで頭がいっぱいです。

 

今は家主のいない父の実家の仏間を、一緒に片付けに行きました。

 

 

朽ちたふすまを修理に出した状態で、いつもは隠れていて見たことのない箪笥があらわになっていました。

 

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引き出しを開けると、当時の帳面が出てきました。

 

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曽祖父は金貸しをしていたそうで、借用書がほかにもたくさん出てきました。

 

消費税10%があるわけでもないのに、どうしてみんな「33円」なんだろう・・・

 

そして、金貸しだった曽祖父の息子である祖父の代から、父や叔母、2代にわたって

どうしてみんな教師になったのだろう・・・

(3代目のわたしたちで教師は全滅したけどねグラサン

 

 

母との会話の中で気づいたことが、シンクロで立て続けに3人の人にも同じことをお伝えすることになったので、その内容をシェアしますねニヤニヤ

 

前回帰省したとき、まだまだ深い眠りの中にいる朝4時に、母に話しかけられて目覚めました。

 

母は、父の葬式についての後悔を、延々とわたしに伝えます。

 

「いや、終わったことだし、それに良い式だったから別にいいじゃん」

 

わたしがそう言っても、泣きながらあらゆる細かい後悔を言い続けます。

 

例えば、父の遺影の服装をボタンダウンシャツじゃなくてちゃんと式服にすればよかった。

「校長先生までされたのにねぇ」と、だれかがささやいたのを聞いたのだそうです。

 

たったひとり、だれかが何気なく言った言葉。

それが服装についての言及だとも限らなく、「校長先生までされたのよねぇ」という「に」と「よ」だけの聞き違いかもしれない。

 

そもそも家族葬だったので、かなり親しい人しか来ていなかったので、そんなことを言う人がいるはずがない。

 

そう説明しても母には全く届かなく、「後悔ばかりで気がおかしくなりそう」と泣いていますドクロ

 

 

寝起きで適当に返事していたわたしも

 

これは本腰入れて話さなきゃ

 

と、通常のカウンセリングモードになりました。

 

 

「だれもお母さんを責めていないのに、なんでそんなに自分を責めるの?」

 

「いつからそうなった?子どものころはどうだった?」

 

「小学校の時は?」

 

「中学校の時は?」

 

「高校は?」

 

「大学に入ったときは?」

 

そうやって聞き出していくうちに、どうやら高校受験で進学校に受からず、すべり止めで受けた女子高に行くことになったことが原因だとわかりました。

 

 

いやいやいや・・・・

 

お母さん、その女子高でお父さんに出会ってるじゃんパー

 

なんでそこでひっかかるん!?

 

 

両親のなれそめストーリーはこちら下矢印

 

もし共学の進学校に受かってたら、ほとんどの子は先生じゃなくて同級生や先輩の男子生徒に目が行くから

 

先生なんてあまり気にしないから、もしお父さんがいても出会わなかったと思うよ。

 

そもそも、お父さんが公立の高校の講師に行く感じじゃないし。

 

女子高だったから、お母さんの友達がみんなお父さんの飲んでるBarに行こうって誘ったんでしょ?

 

それでも公立高校に受かった方がよかった???

 

 

と聞いたら、母は「いや、そうは思わない」と、涙も止まったしっかりした声で答えました。

冷静さを取り戻して、いつもの母に戻りました。

 

原因に行きつくと、問題の半分は解決するんですよねチョキ

 

 

 

その朝はそこまでで会話は終わったのです。

 

ですが。

 

その後、わたしの中でその先の答えまでたどり着きました。

 

 

 

母はいつも自分にダメ出しをしています。

 

「本当にわたしはバカだわ」

「いつもこうよ。嫌になる」

「おばあちゃん(父の母)も呆れてるわ」

 

いつもいつもそんなことを言っています。

 

 

一見これって、気の弱い自己肯定感の低い人に思えますよね?

 

実は逆なんです。

 

 

自己イメージが高すぎて

 

現実の自分とのギャップで、自分を責めているんです魂

 

 

だから、自己肯定感が低いと言えば低いのですが

 

単純な低さではなく

 

本来のわたしはこのレベルのはずなのに

 

という、架空の自己肯定のもとに自己否定をするのです。

 

 

架空の自己肯定のもとに自己否定

 

(我ながらぴったりの言葉が出てきたグラサン

 

 

大変失礼ですが、母は自分で思ってるほどのレベルではなくグラサン

 

普通にもっとダメな、さほど能力の高くない人なのです(お願いお願いお願い

 

でも

 

それでもそのままで、父にも祖母にもみんなにも愛されていたんです。

 

 

「おばあちゃんも呆れてるわ」とよく言うけど

 

おばあちゃん、最初から知ってたから真顔

 

それで、そのお母さんで「いい」って受け入れてたから。

 

 

お母さん、思ってるほどそもそも「デキる人」じゃないから。

 

今「ダメだわ」って言ってるレベルだから(お願いお願いお願い

 

だけど別にそれでいいじゃん。

 

 

そもそも誰も、お母さんにそんな「高レベル」求めてないしニヤニヤ

 

 

そう言うと母は「向上心持たないとダメじゃない、上を目指す心を持てなくなるじゃない?」と聞きます。

 

 

うん、この質問は出てくるよね上差し

わたしの答えはこう下矢印

 

 

「わたしはこのレベル」と間違った場所にいるつもりだから、地に足がついていない。

そこからは上に上がれない。

 

だけど「本来のわたしはこんなもん」と下に下りると、しっかりと地に足がつく。

 

そこでやっと、一歩階段を上がることができる。

 

 

そして、母が劣等感のカタマリになってしまった女子高も、そこを目指して受験を頑張った人たちにとっては、劣等感になるはずもない。

 

しっかりと地に足を着けて、次の一歩を踏み出すことができてるはず。

 

 

「わたしはこの程度」

 

「だけどそれでいい」

 

 

何も、悪くない。

 

 

 

自己イメージが高すぎると、人生が辛くなる。

 

良く見せようと頑張ったり

 

良く見える人たちに嫉妬したり

 

もっとできるはずだと自分を責めたり。

 

 

 

わたしこんなもん。

 

そう認めると楽になる。

 

知ったかぶりせず、わからないことはわからないと人に聞く。

 

良く見える人に出会えば嫉妬ではなく「学び」の機会と捉えることができる。

 

少し成長すれば自分を誇りに思える。

 

 

 

そして残念ながら、あなたの「程度」は周りの人にはバレバレニヤニヤ

 

それでも愛されてる。

 

 

悪あがきはやめようウインク

 

 

すべてわたしも通ってきた道です滝汗

 

 

良い意味で、素晴らしい自分をあきらめてありのままの自分で生きる。

 

そしてそこから、一歩ずつ上って行く。

 

 

人の目を気にして生きる人生から、自分の目線で世界を見れる人生へ

 

下に向かってジャンプしようキラキラ

 

 

 

 

 

パワーストーンアクセサリー*Many Happy Returns!*

 

 
 
 

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