3月になりました
先日、いつも発送に使っている箱の価格が倍になったお話を書きました。
3/1より送料につきまして、下記のように変更させていただいております。
3/1より改訂 お買い上げ税抜7,000円以下 送料250円
税抜7,000円以上 送料無料
ずっと据え置きにしていたので、大変心苦しいですがご理解くださいませ。
新しく始めるはずのメンバーシップ(無料)のシステムが、現在使っているデザインに対応していないことがわかり
サイト全体のデザインを変更しなくてはいけなくなりました。
そのおかげで、メンバーシップの開始が遅れております・・・
開始いたしましたら告知いたします。
メンバーシップは、お買い上げ金額に応じてポイントが貯まり、それと特別なアイテムと交換できるシステムです。
いろいろと計画を進めております
始まりましたら、ぜひご登録くださいませ。
本日は3月3日、ひな祭りですね
今朝、目が覚めて3月3日ということを思い出し
「そうだ、今日はMさんのバースデーだ」
と、遠い記憶に思いを馳せていました。
Mさんは、わたしが福岡で派遣社員をしていた25年前に出会った人。
わたしは大手石油会社の九州支店に派遣で入り、Mさんは隣のガス部門の正社員の女性でした。
その会社は、女性社員がとても上品な人が多く、Mさんはその中でも生粋のお嬢様の雰囲気でした。
年はわたしより少しだけ下、30歳前後だったと思います。
肌は透き通るように白く、頬は桜色、背筋はいつもピンと伸びて服装も流行を追わない上品なものばかりでした。
なぜか彼女は、わたしをとても好きになってくれて、あまり同僚とおしゃべりするタイプでは無いのに、よくお茶をしたりメールをしあったりして仲良くさせてもらっていました
趣味もお嬢様らしくお菓子作りで、それは趣味の域を超えた普通に売ってるような、パッケージまで完璧なものをよく作ってきてくれていました。
とても素敵なMさんですが、無表情、どちらかというといつも少し寂しげな表情なのが気になります。
もちろん笑顔で話すこともあるのですが、わたしのイメージでは
「パキパキパキ・・・」と硬い表情を崩して無理に笑っている感じがしていました。
仲良くなったわたしは、数人で夜ご飯を食べに行くこともありましたが、Mさんは門限があり、通常だと8時、特別に飲み会などがあっても10時には帰宅しなくてはいけないとのこと。
「え??30歳で門限8時???」
とっても厳しいおうちで、一人娘。
さすがお嬢様だな~と思っていました。
一度、Mさんのおうちに遊びに行ったことがあります。
ご両親が不在なので、遊びに来ませんか?と言われて、バスに乗って伺いました。
その時は、ピアノを弾いて遊んで
昼ごはんは、彼女が焼いたピザを食べました。
もちろんデザートも手作りです。
お菓子作りは、ケーキの中に入れる果物をシロップに漬けるところから始める本格派。
わたしは自由に果てない夢を語っていた頃で、Mさんの夢は?と尋ねたところ
「パリのパティシエの学校に行きたい」
と桜色の頬を少し赤らめながら語ってくれました。
「すごいすごい!!素敵な夢だね」と彼女の夢を大絶賛した記憶があります。
恋愛の話もしたことがあります。
一度別の支店の人とお付き合いのようなことをしていたけど、両親から反対されて別れたとのこと。
門限8時じゃぁねえ・・・
わたしは1年で派遣契約切れ、当時統合で厳しい状況だったその石油会社は派遣を継続しないという判断となりました。
送別会を皆さんがしてくださるということで、取りまとめてくださった隣の席の方が
「田村さん、社員全員参加です・・・すごいです。社員の送別会でも全員なんて今までなかったのに」
と言われて。
とっても嬉しかったのに、直前になってMさんが不参加との連絡。
その時期、わたしがいなくなるからと、数人での送別会が何度も行われていて、それに参加してくれたMさんは
きっとご両親から叱られ、さらに会社全体の送別会に出て遅くなるのを禁止したのでしょう。
きっとすごく悲しい気持ちだったと思いますが、理由も何も言わず「参加できずごめんなさい」と言われていました。
その時も、なんだかなぁ・・・と憤りを感じたのを覚えています。
わたしは引き続き、製薬会社の派遣社員として近くのビルに通い始めました。
前の会社とも近かったので、時々待ち合わせてMさんとお茶するのが楽しみでした。
時は流れて、Mさんから「最近お見合いばかりしてる」と報告がありました。
ご両親が、結婚を急かしているようでした。
数年経って、結婚式の招待状が届きました。
お見合いで、恋愛感情のない方との結婚・・・
どんな方なんだろう・・・
会場に入ってそのお相手を見て
大変失礼なのですが・・・
とっても腹が立ちました
お世辞にも魅力があるとは言えない、条件だけは立派で
Mさんを愛しているようにも見えないお相手。
あんなに素敵で家庭的なMさん、ここでも親の言いなりでこんな人(ゴメンナサイ)と結婚させられるなんて!!!
Mさんの人生って、いったい何なの???
Mさんは結婚して、四国へ引っ越しました。
知らない土地、お見合いで結婚した旦那様。
どうしてるだろう?とよく気になっていましたが、彼女からはとても美しい筆ペンの文字のお手紙が時々届くようになりました。
男の子が二人生まれ、年賀状では久しぶりにMさんの写真を見れたりしていました。
「地域の方たちと交流しています。感謝しないといけないですね」など、不満や愚痴は一言も書かれていませんでした。
そのうち、体調を崩しています。健康って大切ですね。
というお手紙が来て、その後。
年賀状を出してもお返事が無く。
まだ入院されてるのかな・・・でも筆まめな彼女だったらどうにかしてお手紙くれるはずなんだけど。
翌年も年賀状は返事がありませんでした。
わたしはこの時、もしかしたらMさんはもうこの世にはいないのでは?という気持ちになりながら、それならご家族が何か伝えてくれるはず、とも思っていました。
3年目、年賀状を送っても返事がありません。
この時に、本当にもう彼女はいなくなった、と確信しました。
そしてまた猛烈に怒りが出てきました。
どうして知らせてくれないんだろう?
ご家族も悲しくて気持ちが付いていかなくて、年賀状の返事を出して知らせることができないのかもしれない。
いや、でももう3年も出してるのに。
今となっては、やはり「ご家族の心が折れて」連絡くださらなかったのではなく、Mさんの友達なんてどうでも良いと思われていたんだな、と感じます。
当時の石油会社の人に連絡してみようと、SNSで検索したりしたけど見つけることができず、消息をだれに聞くこともできません。
Mさんの人生って、なんだったんだろう?
親に言われるままに生きて、かごの中に閉じ込められて。
条件の合う人のところに送り込まれて、子どもを産んで亡くなってしまった。
大切にされていたとも思えない。
わからないけど、幸せそうじゃなかった。
お父さん、お母さん、それで満足ですか???
他人のわたしがMさんの人生をジャッジすることはできないけど、その憤りはずっと心の中にあります。
今日はMさんの誕生日。
ご家族、そして嫁いだ先のご家族がしっかりと祝ってくれてることを祈って。
3月3日の朝の、わたしの回顧録でした。
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