この日がついにきてしまいました。朝はいつも通りシリンジで食事とお薬を飲ませ酸素室で寝ていたので今日も何事もなく無事に終わってくれると信じていました。腎不全が悪化しているのか食欲増進材は効かず、歯肉炎も悪化していたので、インターベリー使用してなんとか次のステージに行ったときに、歯が痛くて食べられない状態だとかわいそうだと思い夕方まで世話をしていました。以前にあたってなくなったチヨちゃんが、トイレで倒れてそのまま危篤になった経験があったので、便秘を解消すべく乳酸菌等取らせて対策をしていました。

 

晩御飯のシリンジ(第一弾)を普通にこなし、ゴロゴロ言っていたので安心していました。21時すぎぐらいにコロが大をしにトイレに行ったのですが、出なく突然吐き出しました。2時間前に上げたシリンジが何も消化されずにすべて吐き出しました。いつもだったらもっと消化しているのに変だなと思いつつ、少し休ませてから二回に分けていた残りのシリンジを飲ませている最中に暴れだし尻尾をフサフサして力なく倒れこみました。後ろ足があたったようでした。自分と嫁はいろいろ足を温めたりして看病をしてその間に娘は「札幌夜間動物病院」に電話して連れていくことになりました。少しでも痛みをとる方法があるのならっと思い連れて行きました。

 

いろいろ検査して調べた結果、完全に足に血液が行ってなく体温も34度まで落ちていていつ発作が起きても不思議ではないといわれました。ここを乗り切っても、血栓ができなかったら1年、血栓対策の薬していても血栓発症。体温が下がっているのでおそらく1日2日の命でしょうと言われました。説明を受ける前にコロの前を通った時は自分たちの方を見ていて早く出してと訴えていました。そのあとは痛み止めを打っていたのでもうろうとしていて静かにしていました。血栓のため歩くことはできない、足の壊死で長くても数日しかもたない、再び血栓で苦しむ可能性大、鎮痛剤打ち続けるため意識はもうろうとしていてコロには私たちがわからない、延命しても苦しむだけ、と妻との意見が一致したため安楽死を選択することにしました。自分の信念では安楽死は有り得ないと思っていたのですが、今の落ち着いている状態で眠るように看取ることしか選択手段がないことを理解しました。ずっと車の中で痛い痛いって泣き叫んでいたので、これ以上の苦痛を与えることは自分にはできませんでした。最後にコロが大好きだった抱っこをしました。コロとは抱っこから関係が始まったので、抱っこで終わることを選びました。

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コロと一緒に闘ってきたお話はここで終わりです。

おそらくだいぶ前から心臓が悪かったんだと思います。徐々に悪化し、腎不全も影響をうけてステージ4まで一気に悪化したんだと思います。

先日の大学病院ではこんなに大人しい猫は見たことがない。すごくいい子だと言われすごく嬉しかったです。
夕張ダムの現場事務所で出会い、2012年11月16日雪が降る前日に救出し、2021年8月9日まで楽しく共にしました。

残された子猫たちはみんなコロに育てられたので、僕たち夫婦と娘が後を引き継ぎます。

猫たちの少しの変化も見逃さず病気と闘うと誓います。

 

 

最後に・・・

 

闘病生活よく頑張った!!天国にはクーちゃんとチヨちゃん、もなちゃんが待ってるよ。ちょっと早く行くことになっちゃったけど、あっちでは好きなものをたくさん食べてみんなと遊んでね!思い出をありがとう。一生忘れないよ!!!

 

↑大学病院にて。帰れると喜んでいました。ゴロゴロいってモミモミしていました。
 
 
↑あたるちょっと前の動画です。ゴロゴロいってリラックスしていたのに・・・