上山は諫早市(長崎県)の中心部にある標高122mの低山です。

家から近いこともあって、私は時間を見つけてはこの上山を歩くようにしています。

 

2025年は12月26日が最終日でしたが、この時はウラジロを採りにいつもと違うコースを歩きました。

ウラジロは新年飾り用です。

 

ウラジロ

上山山頂から雲仙を望む

 

2025年の上山歩きは155回で、これまでの通算は1741となりました。

また、この年は1月22日に通算1600回、さらに8月19日に1700回の節目がありました。

 

年末年始は1週間ほど実家の方で過ごしたので上山歩きはお休みです。

 

 

1月4日から上山歩きを再開しました。

1/4 東口より

1/5 南口より

そして1月6日、これまでずうっと気になっていたYAMAPにある登山道を歩いて見ることにしました。

YAMAPの地図に、今は誰も歩かないところに登山道が記されているのです。

これまで2度歩こうとしましたが、ブッシュがひどく挫折した道です。

 

YAMAP

赤い矢印がそれです。

拡大

 

人が歩かない登山道探検です。

(人が歩いた道(跡)はYAMAPの地図には淡い青い丸で表示されます)

100mそこそこの山ですが、この日は登山靴、軍手、帽子の完全武装で臨みました。

 

これまでは上の方から下ろうとして行けなかったので、今回は下から歩くことにしました。

 

さっそく、行く手に大きなシダが立ちはだかる。

 

スズメバチの巣

 

苦戦の末、いちおう大きな道と合流しましたが、YAMAPにある登山道からは大きく外れました。

ブッシュを避け、歩きやすいところを歩いた結果です。

 

道から外れすぎている…

 

以前の登山道を辿るのが目的だったのでこれでは満足いかず、帰りにもう一度挑戦することにし山頂を目指しました。

 

2026年の3度目の山頂です。

(雲仙方面)

 

件の道を下るまえに東屋へ

以前は展望が利いたと思われますが、今は雑木が生い茂り視界を遮っています。

 

 

そして、あらためて幻の登山道に挑戦。

目的は地図に記載の登山道を忠実に辿ること

あらゆる障害物を乗り越えて下っていきました。

 

地図の道は基本的に谷底

 

倒木を越えて行きます

 

悪戦苦闘の末に、駐車場の角に出ました。

 

 

下りは忠実に登山道を辿ることができました。

青い線が登りで、赤い線が下り

 

 

 

今回は、気になっていたYAMAPにある登山道がどんな道だったか確かめられたのでミッション完了です。駐車場の角から登れるのですが、この道を歩くことはもう生涯ありません。

なお、この道は谷に沿っての道でした。縮尺の関係でしょうか、YAMAPの地図では谷だと読み取ることができませんでした。

 

谷に沿って続いていた道

 

縮尺の大きいゼンリンの地図ではそのことが確認できました。

 

YAMAPの地図

等高線がズレています。

登山道はGPSで自分の位置を確認しながら進んだのでこの位置で間違いありません。

 

【追記】

この記事について、次のご指摘をいただきました。

 

「YAMAPの登山道は赤線で、灰色は国土地理院の地形図に記載されている幅の狭い歩道で登山道とは言えないと思う」

 

YAMAPの地図は国土地理院のがベースなので、国土地理院に記されている道はそのまま載っているが、それが登山道、つまり山登りに適した道であるかは別というご指摘でした。

 

ご指摘いただいたこと、たいへん勉強になり感謝いたします。ありがとうございました。

(2026.1.8)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、英彦山に登りました。

英彦山はとても魅力的な山でした。

そんな英彦山についてもっと知りたくなり、本やネットで調べました。

 

山の専門誌「のぼろ」の表紙

この表紙の絵が手がかりとなり、吉井勇の「ちむろ谷」の歌を理解することができました。

 

この表紙の絵は、小杉放庵が昭和5年に出した「彦山」という本の口絵ということが分かったので、その本を取り寄せました。

 

「彦山」の口絵

なるほど、雑誌「のぼろ」の表紙はこの口絵を着色したものだったのです。

 

「彦山」の表紙(カバー)

(「未醒」は放庵の号)

 

カバーを外すと

 

本文を読んで驚きました。

文章が漢文調で格調高いのです。

つい音読したくなるような文章でした。

リズミカルで歯切れの良いその文章は、声に出すと実に気持ちのいいもでした。

 

一通り読み終えると、英彦山よりもこの本を記した小杉放庵という人物に俄然興味が湧いてきました。

小杉放庵何者ぞ、これだけの文章を書くのだからただ者じゃないな、と。

 

放庵の名前は知っていました。

吉井勇の歌集には放庵の挿絵がよく使われていたので、放庵が画家であることは知っていました。

 

放庵をネットで検索

Wikipediaに「洋画家、日本画家、歌人、随筆家」とあったので納得しました。

思った通り、絵だけでなく歌を詠み随筆も書く人なのだ、と。

 

「彦山」の巻末には放庵の短歌が9首載っていました。

(※【追記】↓ 2026.2.4

 

その最初の歌

えひこ山ちむろの谷をどよもして大西風のわたるなりけり

 

「えっ!」と驚きました。

「吉井勇の歌によく似ている」と。

 

 

吉井勇が「英彦山」に登場する最初の歌は

英彦山(えひこやま)ちむろの谷は見ざれども心は遠く空にこそ飛べ

 

表記こそ違いますが、歌い出しが「えひこ山ちむろの谷」と同じです。

 

似ているのは他にもあります。

此山に棲むと云ふなる天狗共あらば出て舞へわれ酔ひにたり(放庵)

寂しければ酒ほがひせむこよひかも彦山天狗あらはれて来よ(勇) 

天狗と酒をテーマにした歌です。

こうなるともう偶然とは考えられません。

 

放庵が英彦山に行ったのは昭和4年で、勇は昭和11年です。

その間の二人の関係や接点を調べました。

 

昭和5年 放庵、土佐へ

昭和6年 勇、土佐へ

昭和7年 勇、南林間都市に居を移す。放庵、勇を訪ねる

昭和8年 放庵と勇、一緒に佐渡などを旅する

昭和9年 勇、歌集「人間経」を出版。その口絵と挿絵が放庵の絵

昭和11年 勇と放庵、広島で偶然に出会う(5月)

勇、英彦山に登る(6月)

 

 

勇は随筆「歌人放庵」の中で「放庵君は歌人である。しかもすぐれた歌人である」と端的に書いています。さらに「元来一芸に秀でたものは、他の芸道に於いてすぐれた技倆若くは鑑賞力を持つものであって、画家としてもすぐれた放庵君が、歌人として立派な余技を見せるのも、又当然のことといっていいであらう」とも。

 

上のまとめにも書きましたが、昭和11年5月に、広島で二人は偶然の再会を果たしています。勇は歌行脚中で、そのときのことを「歌行脚短信」に書いています。

「三津より広島へ到り、図らずも小杉放庵君と邂逅。会飲して旅情を慰むこと数回」

 

放庵も再会の感激を歌に詠みました。

島めぐりめぐり来ぬる潮焼けの吉井のぬしに酒まゐらせむ

 

互いの芸術性を認め合っている二人の偶然の再会、酒もすすみ話も大いに弾んだことでしょう。

勇の九州行きを知った放庵は、ことさら英彦山を勧めたのではないでしょうか。

これまでも幾度となく英彦山について熱く語っていた放庵は、筑紫に行くのであれば是非にと。

勇は放庵の「彦山」は読んでいて、英彦山に強い関心、憧れを抱いていたと思われます。

 

機が熟した6月17日、勇は英彦山に登り、山上の宿坊で2泊します。

盟友小杉放庵との親交がなかったならば、勇の英彦山行きはなかったでしょう。

英彦山は簡単に登れる山ではないからです。

 

勇の英彦山を詠んだ歌は歌集「天彦」に収められました。

その歌集「天彦」に使われている挿絵は放庵のスケッチによるものでした。

 

挿絵

遍路図ですが、当時人生の深刻な悩みを抱えながら長期の歌行脚に出た勇を象徴するような絵です。

 

 

英彦山を詠んだ小杉放庵の歌と吉井勇のそれに同じ匂いがしたのは二人が親しい関係にあったからに他なりません。勇は放庵の歌に敬意を表し、あえて同じテーマで詠んだのでしょう。

二人の歌を読み比べると、ともに旅をし、ともに酒を飲み、ともに磨き合う二人の友情が感じられます。

 

【追記】

放庵と勇の友情は終生続いたようで、勇の最後の歌集「形影抄」も放庵の挿絵でした。

調べてみたら、勇の歌集のうち、放庵の絵が使われたものは7冊もありました。

 

【追記】2026年2月4日

吉井勇が昭和8年頃に書いた随筆「小杉放庵の歌」を発見しました。

『スバル』第2号掲載の小杉放庵の「英彦山」と題する9首について吉井勇は次のように書いていました。

 

「枯淡な閑寂な味わいに於いて心を惹かれるものが多い。

今私の好む3首ほど引いてみよう。

 

えひこ山筑紫國原國見すとわが立ち待てど雲はれなくに

此山に棲むと云ふなる天狗共あらば出て舞へわれ酔ひにたり

むささびよ顔さし出せと古杉のうつろをたたく冬の山かな

 

 やっぱりどこか南宗画の境地であって、寒山詩を和訳したような趣が感じられると同時に、飄然として煙霞に身を任してゐるところの、超俗的な作者の姿も、この歌を読んでゐるうちに、はっきりと思い浮かべることが出来るのである。」

 

勇が画家・小杉放庵を歌人としても高く評価していたことが窺えます。また、自由に旅する放庵への憧れも感じられます。

 

 

英彦山上宮の工事が終わり登山解禁となった。そんな折、新しくなった社を見に中岳に登らないかと先輩から誘いがあった。

それは朗報だと二つ返事でOKしていた。

 

登山日が近づき、あらためて計画書を見て驚いた。

思っていたコースと大きく違っていたからだ。

てっきり王道である銅鳥居から登ると思っていたら、そこには初めて見る名前が並んでいた。

「鹿の角」「鬼の舌」

何これ?

 

手元の資料で「鹿の角」をやっと見つけたが

登山道が記されていない!

裏英彦山のルートは載っているが、鹿の角への道はないのだ。

 

【今回のコース】

大南林道分岐 → 鞍部→猫ノ丸尾→籠水峠→鹿の角→鬼の舌→南岳→中岳(上宮)→南岳→大南神社→鬼杉→大南林道分岐

 

鹿の角から稜線を北に進み最後は南岳に直登するルートだった。

地図を見て崖の多さと等高線が密であることに不安を覚えた。

「このコースは本当に行けるのだろうか」と。

 

一方で、研究熱心な先輩が立てられた計画だから間違いはないはずと思い直す自分がいた。

 

12月10日 登山の日

気温は低かったものの天気は快晴だった。

 

大南林道分岐近くの駐車場

すぐに涸れ沢を渡る(徒渉?)

 

猫ノ丸尾

枯れススキの向こうには峰入り古道の山々が続いていた。

 

出た! 断崖絶壁

あの崖の向こうが「鹿の角」らしい。

 

籠水峠

指導標に

→裏英彦山 

→鬼杉

→猫ノ丸尾・岳滅鬼山

ここは三叉路だ。

 

超ミニ指導標

左に置いているストックのグリップと比べるとその小ささが分かる。

上向きの板に「鬼の舌・鹿の角」と書かれている。

断崖の横を巻いて登るらしい。

 

 木の根をつかみよじ登る。

 

1m先は断崖絶壁

 

鹿の角に到着

標識の横は本物の鹿の角

 

南岳が見えた(右は北岳)

地図記号にあった崖(岩)も見えている。

これより「鬼の舌」へと向かう。

 

岩がコロコロした道

鬼の舌がどこなのか分からないまま通過したらしい。

 

険しい道は続く

 

難所を抜ける

 

南岳に到着 上宮の社が見える

 

中岳との鞍部

袋には貼り紙がしてあった。

 

「背負子でもあれば担げるんだけど」と言いながら、写真だけ撮って通過した。

 

 

リニューアルされた上宮

 

 

上宮下の広場

 

 

中岳を後にしようとしたとき、一人の登山者と会った。

その人はザックに先ほどのゴミをくくりつけていた。

 

「お疲れさまです。ありがとうございます」と声をかけた。

「すごいですね」と言うと

「自分のためですよ。これも思い出になります」と、何でもないかのように笑って答え山を下りていかれた。

 

 

再び中岳と南岳の鞍部へ

すると

ゴミ袋は最後の1つとなっていた。

 

迷わずザックにくくりつけた、先ほどの人のように。

「自分のためですよ」

さっき会った人の言葉が蘇る。

なるほどと実感する。

その気になれば背負子など必要なかった。

 

南岳を下り

 

大南神社

 

鬼杉

流石にデカい!

 仰ぎ見る先輩

 

無事に下山し、先ほどのゴミを指示された別所駐車場に置いて全てが終わった。

私だけでなく多くの人が美化に協力してくれていたのだ。

ゴミ入れには「英彦山を美しくする会」と表示されていた。

 

今回の英彦山登山は、計画書に記された「猫」「鹿の角」「鬼の舌」の字面に不安を抱きながらのものだったが、アドベンチャールートを楽しめたこと、改修された上宮の社を見られたこと、そして英彦山美化の一助になれたことと、実に思い出に残るものとなった。