自傷行為、私の場合。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、4日目。

だけど今日は3泊4日の外泊、2日目。

今日はちょっと頑張りすぎました。

昨夜は全く寝れず
(やはり環境が変わると寝れないようです)
マイスリー5mg追加
→リスパダール2mlとマイスリー5mg追加 
→リスパダール4ml追加
で寝れたの3時頃でした。

6時すぎに起きて
朝ごはん食べて二度寝して
9時に起きて出かける準備して
郵便局と市役所行って娘への手紙投函と限度額認定証の交付を済ませて
コンビニやら乃が美やらスーパーやら寄って11時半に帰ってきて
昼ごはん食べて
自分のライブDVDを見て
1時半頃~18時までハンドメイドに没頭して
あっという間にこんな時間。

今日できた作品は、
久しぶりの自信作です。

    ¥980






いつもなら写真も一枚だけだけど全部載せちゃう。笑

キラキラとしてとても綺麗で、
いつものコーディネートにプラスするだけでパッと目を引くこと間違いなし。

久しぶりにここまで満足できる作品ができました。

嬉しい。







さて、本題。

私は14歳(中学2年生)の時から自傷行為をしています。

一番酷かったのが高校時代。

リストカットするだけでは物足りなくて、
ビニール袋に血を溜めて分離するのを眺めるといった奇行をしていました。

今までに300針は縫ったと思います。

リストカットのしすぎで貧血になり、
ヘモグロビン値が5とかになってフラフラで強制入院させられました。

高校2年生の4月頭~7月いっぱい入院し
高校3年生は後半の半年休学し治療に専念してからは
派手なリストカットは減っていきました。

でもどうしようもなく辛くなるとしたくなる、自傷行為。

最後にしたのは去年の11月28日(だったかな?)

グループホームに入所中で、
9月末に退院してからリストカットはしてしまっていましたが
首を切ってしまったので即入院となりました。

それを最後に、
刃物を使った自傷行為はしていません。

でも、
爪で体中を引っ掻いたり
壁を殴ったりといった自傷行為は最近でもあります。

私の場合、
ストレスの向かう先が自分、といった感じです。

最近では
自傷行為より大量服薬の方に思考が変わってきている気がします。

下の方に写真を載せますが
私の両腕はズタボロです。

【まにゃさんが頑張ってきた証】

そんな風に言ってくれる人もいますが
私はまだそんな風には思えません。

だけど、何故か今は、
隠そうとは思わなくなりました。

一昨年まではアームカバーなしでは外を歩けなかったのに
去年くらいから、
気にせず外を歩けるようになりました。

子どもたちが一緒にいないから、
というのは大きいかな、と思います。

私にとっての自傷行為は今でも
【なくてはならないもの】です。

強いストレスがかかった時
自分を守るために
解離して自傷行為するのだと思います。

(私の場合、ほぼ解離した状態で自傷行為しています。
 意識はあります。
 体を乗っ取られているような感覚です。)

【最近解離を起こさなくなったのは解離してしまう手前で自分の心のSOSに気づけるようになったから】
だと言われました。

解離性障害は確実によくなってきています。

それとともに、
自傷行為の頻度も減ってきたのだと思います。

でも、一つ気になることが。

私は離婚して1000キロ離れた地元に帰ってくるまで、
パーソナリティ障害と診断されていました。

今は双極性障害ですが。

所謂【見捨てられ不安】からの自傷行為なのではないか?

そこを突っ込まれると、
強く否定は出来ないのが本音です。

理由が何であれ、
自傷行為や大量服薬といった衝動的な行動を何とかコントロールできるようになってきているので、
良しとしましょうか。

これまでの私は本当に刹那的に生きてきました。

その証が、
両腕の傷跡なのだと思います。

未熟すぎた私の、赤っ恥です。

でもそれを隠そうとしなくなったということは
そんな自分も認められるようになってきたということなのだと思います。

私は、本当に少しずつだけれど、よくなってきている。

何となく今はそう思えます。

以下、両腕の傷跡の写真です。
苦手な方はここで戻ってください。


























明日は午後に母の主催する着物教室です。

前回行けなかったから、
今回は参加できるといいな。

そして今夜はよく眠れますように。

明日はどんな自分に出会えるかな。

明日も穏やかに過ごせますように。