妹の言葉に救われた日 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、3日目。

ですが今日は自宅に外泊してます。

病院で昼ごはん食べて、
12時半頃、
帰ってきました。

自宅には大学四年生の妹がいました。

一つ前の記事にも書きましたが
退院していいのかどうか
とても迷っています。

なので、
妹にも聞いてみました。

「」→私、『』→妹です。





『あれ、どうしたの?』

「今日は外泊。
    明日退院しようかと思って。」

『え、こないだ入院したばっかじゃん。
    大丈夫なの?』

「それが分からんのよね。
    あんたならどうする?」

『どうするって言われても…
    私は精神病んだことないからなぁ。』

「今の私は、退院して自傷も大量服薬(OD)もしない自信が6で不安が4なのよ。」

『それならまだ入院してた方がいいんじゃない?』

「なんでそう思う?」

『自傷も大量服薬もしてほしくないから。』

「私が自傷や大量服薬すると嫌な気持ちになる?」

『そりゃそうだよ。
    道端でのたれ死ぬとか交通事故で死んじゃうとかならまだ納得もできるけどさ。
    私に関係するところでは絶対に自傷も大量服薬もしないで!
    私に責任があるって感じちゃうから。
    去年の3月のこと、覚えてないの?』

「覚えてない。
    泣きながらお母さんに電話したっていうのは聞いたけど。」

『もうあんな思いはしたくない!』

「そっか…そうだよね。ごめん。」

「変なこと聞くけどさ、姉ちゃんが精神障害者って嫌じゃない?」

『それは別に。
    だって、まにゃはまにゃじゃん。』

「友達に姉ちゃんのこととか聞かれたらどうしてるの?」

『普通に今は家にいるとしか答えてないけど。』

「そっか。」

『病気はあるかもしれないけど、それがまにゃだし、わざわざカテゴライズする必要なくない?』

「そっか。ありがとう。」

『躁うつ病って治るの?』

「治らないって言われてる。
    遺伝性のものらしいしね。」

『誰からの遺伝?』

「セカンド・オピニオンで受診した先生曰く、母方の遺伝、おそらくばあちゃんだと思う。」

『なるほどね。』

「私はサイクルが2ヶ月なんだって。
    でも治療していけばそのサイクルも長くなるだろうし、波の幅も小さくなるだろうとは言われてるよ。」

『そうなんだ。
    病気だからって、型にはめ込む必要はないと思うよ。
    私卒論でLGBTについて調べてるけど、大事なのはカテゴライズすることじゃなくて個人として見ることじゃないかな。
    まにゃは躁うつ病かもしれないけど、まにゃでしかないんだし。』

「そうだね。」

『何かやりたいこととかないの?』

「ハンドメイドで生計立てられるようになりたいかな。」

『なら、やってみたらいいじゃん。』

「そうだね。」

『私は精神病んだことないからまにゃの気持ちは分からないと思うけど、まにゃはまにゃなんだよ。
    退院して自傷も大量服薬もしない自信が持てないなら私は入院してた方がいいと思う。
    お金のこと(入院費)はいざとなったらお母さん達が貸してくれるっしょ。
    とりあえず今月いっぱいくらいは入院したら?』

「ありがとう、考えてみる。」





妹と真面目に話をするのは久しぶりのことでした。

妹がこんなにも私のことを考えてくれているとは思っていませんでした。

【病気はあっても、まにゃはまにゃでしかない】

その言葉にとても救われました。

この記事書きながら、
涙が出てくる程。

私は、もっと自分を大切にしてもいいのかもしれない。

双極性障害、
それが私の全てではない。

双極性障害を患っただけの、
大切な一人の人間なのだと、
そう言ってくれてるようで。

【病気じゃなければ】

そう思うことは山ほどある。

病気じゃなければ、
普通に仕事できてたかもしれない。
普通に子育てできてたかもしれない。
警察沙汰にもならなかったかもしれない。
離婚せずに済んだかもしれない。
親権も失わずに済んだかもしれない。

だけど、
病気であることをひっくるめて
認めてくれる、許してくれる家族がいる。

私のことを、
【双極性障害を患っただけの大切な家族】
として扱ってくれる家族がいる。

なんてありがたいことなんだろう。

どうして今まで気づけなかったんだろう。

私はとても恵まれている。

双極性障害・ASD(自閉症スペクトラム)だからって特別扱いせずに
それでも一定の配慮をしてくれて

何より
私に生きててほしいと思ってくれている。

私は、生きようと思います。

退院していいのかどうかはまだ迷っているけれど
私は、生きようと思います。

ありがとう、妹。

私は、生きるよ。