一年前の今日、私は死のうとした。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

2018年3月23日。

一年前の今日、私は死のうとした。

死にたい気持ちしかなくて
精神科を受診し
入院を勧められるも断って
その日もらった三週間分の薬をお酒で飲んで
「嘔吐物で窒息して死ねればラッキー」
そんな気持ちで
大量服薬した。

第一発見者は下の妹。

帰宅して
『お姉ちゃんが薬たくさん飲んだって言ってる、
    でも親には連絡するなって言われた、
    どうしたらいい?』
と母に泣きながら電話したらしい。

『ほっとけって言ってるなら放っておきなさい』
と母は返したらしい。

その後、両親が帰宅。

両親ともその日送別会の予定があったけれど
父は欠席し
私の様子をずっと見守っていてくれたらしい。

一夜明けて24日、
泡吹いて失禁している私を見て父は
『俺はこいつ(私)がこのまま死んだりしたら嫌だ。
    後悔したくない。
    病院に連れていく。
    着替えさせるからお前(母)も手伝え。
    車に乗せるから足持て。』
と私を総合病院まで連れていってくれた。

その日は私の意識が戻らず
翌25日の昼頃、
私は病院で目を覚ました。

幻覚を見て
幻聴を聞いていた。

そのまた翌日の26日、
精神科病院に転院する予定だったけれど
血液検査の数値が悪く
転院はその翌日の27日になった。

そして3月27日、
私は精神科病院に転院という形で入院した。

そして半年間入院し
9月末に退院し
グループホームへ入居した。

ところが過食嘔吐、自傷行為がやめられなくなり
11月末に再入院した。

この入院は
レジンアクセサリー作りとの出会いもあり
とても有意義な入院だったと思う。

1月24日からは保護室に希望入室という形で入り
薬漬けの廃人のようになり
再び幻覚・幻聴が現れた。

このまま病院にずっといるのかと考えた時
もう薬は飲みたくないと思った。

2月25日、
私は薬を飲むことを拒否した。

それから順調に減薬し
今はジプレキサ10mgとデパケンR800mgとベンザリン5mgだけになった。

そして、
退院が決まった。





ここまで来るのに、一年かかった。

一年前の今日、私は死のうとした。

でもこうやって、
母と映画を観て感動したり
美味しいものを食べて幸せを感じられたり

それってとても
大切なことのような気がした。

当たり前の日常を、
当たり前にこなす。

それができるようになってきた。

社会復帰には、まだまだ遠いだろう。

でも少なくとも今日の私は
【生きたい】と思っている。

それで、
ただそれだけで、
この一年の意味はあったと思う。

この記事書きながら
涙が止まりません。

よく頑張ったね、私。

私は、生きていこうと思います。

これからもよろしくね、私。