解離して暴れて隔離室へ。 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

2018年1月2日。

死ぬことしか考えられずに
調子が悪かった私は
お正月休みで休診だった当時通っていた精神科病院に電話で受診したい旨を伝え
緊急受診した。

(元)夫と子どもたちは
元夫の祖母の家に出かけていた。

2017年8月の措置入院を機に
私は元義両親に絶縁されていたので
私は一人だった。

入院した方がいいんだろうな、
と自分でも思うような精神状態だったので
そのまま入院できるように
ある程度の荷物を持って
受診した。

この病院では
私はパーソナリティ障害と診断されていて
『あなたは精神病ではありません』
と言われ
邪険な扱いを受けていた。

転院する前の
措置入院していた病院では
【統合失調感情障害】
と診断され
それに沿った治療をされていたのに。

私は1年前に通っていたこの病院とは
相性が悪かったのかもしれない。

主治医も信頼できなかったし
心理士さんも
ただ傾聴するだけで
的確なアドバイスをくれることはなかった。
何のためのカウンセリングなのか分からなかった。

でも
私はこの病院にしか頼るしかなくて
藁にもすがる思いで受診した。

主治医は休みで
当直の先生による診察だった。

死ぬことしか考えられないこと、
辛いこと、
入院した方がいいんじゃないかと思うこと、
等を話した。

当直の先生は
『入院したいなら入院できますよ。
    ご家族は何と仰っていますか?』
と言ったので
私は元夫に電話で相談した。

精神科に来ていること、
入院した方がいいんじゃないかと思っていることを話した。

元夫は
『家に帰ってから話そう』
と言うだけで
電話はそこで途切れた。

当直の先生に、
『どうしますか?』
と聞かれた。

そこから先の記憶がない。

気づいたら警察官がたくさんいて
私は羽交い締めにされていた。

「あぁ、解離したんだ」
と気づき
いつの間にか泣いていた。

診察室のテーブルは隅の方に移動していて
テーブルの上にあったであろうものは全て落ちていて
私は右手の甲を怪我していた。

『戻ってきたようですね』
と警察官は言った。

『また会ったね。』
と女性警察官に言われた。

2017年10月に
警察沙汰になった時に対応してくれた
女性警察官だった。

涙が止まらなかった。

『まにゃさん、名前書ける?
    ここがどこだか分かる?
    入院しよう?
    名前書いてくれれば入院できるから。』

警察官にそう宥められ
私は震える手で名前を書いた。

そしてそのまま静養室(隔離室)に連れていかれた。

静養室では
ブラジャーも眼鏡も禁止。
申し訳程度の壁があるだけの剥き出しのトイレ。
水分は牛乳パックを半分に切ったもので提供された。
鉄格子に、監視カメラ。

措置入院した病院の隔離室の方が
まだマシだったんじゃないかと思う。

なんで。
どうして。

その思いだけ、
頭の中をぐるぐる。

静養室では
ひたすら寝ていたように思う。

あまり覚えていない。

入院した翌日の午後に
措置入院の患者さんが静養室に入るとのことで
私は大部屋に移動になった。

『まにゃさん、本当は主治医の許可がないと静養室から出れないんだからね。
    まにゃさんを信じて特別に移動させてあげるから、また暴れたりしないようにね。
    絶対だよ。』

看護師さんにそう言われた。

大部屋に移動になってからは
普通に入院生活を送れていた。

『まにゃさん、先生と話してて急に固まったんだってね。
    それで徐々に暴れだしたんだって。
    覚えてる?』
と看護師さんに聞かれた。
「そうなんですか?」
としか答えられなかった。

入院しても元夫とは連絡がつかず
入院の手続き等も放棄されていた。

数日後、
元夫と病院のワーカーさんで話をして
元夫は
『入院費払えません』
とだけ伝えたらしい。

その為、
私は5日間の入院で退院させられることとなった。

元夫は
『迎えには行けません』
と伝えたらしく
(病院と自宅は車で5分の距離です)
ワーカーさんが家まで送ってくれて
車の鍵を取りに帰り
病院に停めっぱなしだった車に乗って
私は一人で退院した。

2018年1月6日のことだった。





あれから1年。

私は元夫や子どもたちを振り回せるだけ振り回していたし
パーソナリティ障害と言われてもしょうがない状態だったとは思う。

でも離婚して地元に帰ってきて
今の病院に通うようになって
自閉症スペクトラムによる双極性障害、と診断され
それに沿った治療をしてもらえて
ゆっくりだけど回復してきている気はしている。

安心して治療を受けられる環境の大切さ。

それを改めて実感しています。

障害年金も審査中で
経済的に余裕がなかったのは分かるけど

もし、元夫がもう少し治療に協力してくれていたら。

離婚せずに
子どもたちも失わずに
今でも4人で暮らせていたんじゃないのかな、
って思ってしまいます。





でも、
過去は過去。

私は【今】を生きたい。

フラッシュバックして
しんどくなってしまって
久しぶりに頓服のジプレキサ飲みました。

1年前は、1年前。
今日はただの1月2日で、
去年と比べるととても落ち着いているように感じます。

この1年で、
私は成長できたと思います。

頼るべき時に頼れる人に頼ること、
それができるようになってきたし

過去に囚われすぎずに
今を生きるってことの意味が分かってきました。

フラッシュバックは、辛いです。

でも、
辛い気持ちを紛らわすこともできるようになってきたと思うし
私は今の自分、
そんなに嫌いじゃありません。

このままこの調子で、
穏やかに過ごせる日が少しずつでも増えていけばいいな。

ハンドメイドとの出会いは大きいです。
自分がここまでハマれるものがあるなんて
思いもしませんでした。

学生時代のバンド以来かな。

お金に困らない程度に
作品作って
いつかはハンドメイドで生計立てられるようになれればいいなぁ、
なんて野望を抱いています。

こちらは昨夜作った上の妹へのプレゼント。



オパール調に作ってみました。

父経由で渡してもらったプレゼント、


『めっちゃいいわ!!』と
とても喜んでくれて。
追加リクエストがきました。
同じような雰囲気のペンダントトップの小さなネックレスが欲しいと。

この三角は1.5センチくらいです。

細かな作業も、
丸カンや工具の使い方も、
だいぶ慣れてきました。

新年の挨拶LINEした友達からも、
近況報告ついでに作品を見せたら
イチョウのネックレスを作ってほしいと依頼され。

姉からも、
薔薇のイヤリングが欲しいと依頼され。

作るのが楽しみです。
喜んでもらえるといいな。

毎日を楽しくワクワク過ごすこと。
それが一番なような気がしてます。

フラッシュバックがあっても、
きっと私は大丈夫。

好きなことを見つけたから。

きっと大丈夫だよ。





きょうのそら。


何だか幻想的で
ふわふわしていて
とても綺羅でした。







明日は父と上の妹と外出です。

手芸屋さんや百均で買い物して
昼ごはん食べて帰ってきます。

レジンで使えるような可愛い枠があればいいな。
手芸屋さんで初売りセールとかしてたらいいな。

今日はちょっとしんどかったけど、
明日は穏やかに過ごせますように。