母との距離感 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

やっぱりちょっと疲れてるようで
家で1時間くらいお昼寝をし
目が覚めたら14時でした。

15時前に、
病院に戻ってきました。

看護師さん達に
「前髪切って可愛くなったね!」
って言ってもらえて嬉しかったです。

ちょっと横になろうかと思い
寝れるかなぁって思ったんですが

疲れてる感はすごいのに
病院に戻ってからは
寝れませんでした。  

何もする気が起きない
THE・無気力って感じで

ひたすら横になるだけ。

昨日今日と
たくさん動いたから
それもありかなぁ、
と思えて
 
今のところ、
まだ気持ちは落ちずに済んでいます。






 
昨日今日と外泊して
母と接していて
何となくの距離感が掴めてきました。

外泊中も
スピリチュアルな発言はありました。

父「この水(ペットボトルの水)飲んでいい水?」
母「うん、満月の水」
父「何それ」
母「満月の月光に当てた水」
父「ふーん」

といったような。

私はそれを聞いていて
「胡散臭いな」
と思いました。

だけど、
私に関係ないことなので
普通にスルーすることができました。

恐らく、
母はこの記事
読んだのでしょう。

気を遣ってくれているのが、
よく分かった2日間でした。

そして、
思いました。

私は母が苦手だけれど、
「苦手だ」っていう
強い苦手意識を持つ必要はないな、と。

ある程度の距離感、
を持っていれば、
自分が心乱されることもないのかもな、と。

そしてそれは
母だけじゃなく
全ての人に共通して言えることなのかもな、と。  

私は今まで(今も?)、
母に依存していたのだと思います。

子どもの頃寂しかった気持ちも、
自分で癒やせてなくて、

母に対して、
「理想の母親像」
みたいなものを強く求めていたのかもしれないな、と。

私と母は、
悪い意味での
「ピーナッツ親子」
だったのだと思います。

共依存的な。

母は違うかもしれないけど。

母がいろいろ言うことは
私にとっては
「距離が近すぎる」ことでも
母にとっては
「あなたのためを思って」っていう
善意でしかなかったと思うし

だけどこうして
私が心理的に距離をおくことで

私も母も
お互いに気を遣って
お互いに思いやって

私も母も、
苦痛ではない距離、 
っていうのが分かってきた気がします。

退院して
実家に帰るのかとか
グループホームに入るのかとか
一人暮らしするのかとか
そういうことはまだ考えられないけど

ゆっくり考えていけたらいいのかな、
と思います。






 
今日は
朝はしんどかったけど
外はいい天気で
美容室に行って
綺麗に仕上げてくれて気分が上がったし
お昼寝もできたし
病院戻ってからはのんびりできたし

いい1日でした。

躁鬱の波も
そんなに感じることもなく
フラットな感じで
割といい気分で過ごせたかな、
と思います。

ジプレキサの力を借りた部分も、
大きいけれど。

お昼頃から
喉の痛み・咳・体のダルさがあります。
風邪でも引いたかな?

今までは
外出外泊の後に気分が落ちてしまうことが多かったけど
明日はどうだろう。

鬱にならなければいいなぁ。

明日も穏やかに過ごせますように。