母がしんどい。 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

今まで、
このブログでは、
母のこと、
いい風にしか書いてきませんでしたが。

それは、
母がこのブログの読者であったから。

読者登録を削除しても
見れるわけですが

最近、
母のことがしんどくて、
ちょっといろいろあったので、
どうしても吐き出したくて、
書いていこうと思います。

長くなります。







母は、
とても明るく、
前向きな人です。

昔は、
ストレスで円形脱毛症になったり
胃潰瘍で血を吐いたりしてたらしいですが。

私が幼少期〜思春期の頃の母は
常にピリピリカリカリしていて
私は母のことが
好きではありませんでした。

今で言えば虐待で通報されてもおかしくないことを
何度もされてきたし
いじめられて「死にたい」と打ち明けた時には
「そんなに死にたいなら殺してやる!」と
包丁を向けられたこともありました。

私はそんな母を
許せてないんだと思います。



今年の1月中旬、
私がまだ離婚する前、
家族と一緒に暮らしていた時に、
母が家の近くに来て、
話があると言ってきました。

お昼ごはん、お茶を共にし
母から言われた言葉は

「子どもの時のこと、本当にごめんね。
 夫婦関係がうまくいかなくて、 
 仕事に呆けてあなたのことに構ってあげられなかった。
 本当にごめんね。」

でした。

私は、

「急にそんなこと言われても
 今はまだ許す気になれない」

と伝えました。

今考えると、
ズルいなぁ、って思います。

だって、
謝られたら許すしかないじゃないですか。

謝るのも、
私の気持ちなんて考えてなくて、
母の自己満足でしかないでしょ。

そんな、
もやもやした気持ちをずっと抱えていました。


 
それから2週間程で、
急に離婚が決まって、
母が迎えにきてくれて、
1000キロの道のりを、
母と2人、途中で運転を交代しながら、
2日かけて実家に帰ってきました。

実家に帰ることが決まった時も、
母とうまくやれるんだろうか、
そんな不安はありました。

でも、
私は他に帰る場所がない。

割り切るしかないのだと、
思いました。



1月末に実家に帰ってきてからは、
母とはそれなりに良好な関係を築けていたと思います。

出戻りを受け入れてくれた感謝の気持ちもありましたし
私が家を出た18歳の頃の母とは、
変わっている部分が大きかったからです。

「私はあなたをまるごと受け入れる」
「あなたはあなたで、
 とても素晴らしい人間なのよ」
「困ったことは起こらない。
 それを問題だと思うから問題なのよ」

こんなことを、
母は常々言っていました。

母は、
見えない世界を信じる人で、
スピリチュアルなことも度々口にします。

私は、
見えない世界を全否定するわけではありませんが
あんまり信じていません。



実家に帰ってきてすぐの頃は
私は今思えば軽躁状態で
私は何でもできると思っていましたし
仕事もすんなり決まり、
順調に再スタートを切れたつもりでいました。

だから、
母の言う言葉も
そんなに深く考えずに聞き流すことができたし
いいところだけを取り入れることができていたと、
今となっては思います。



3月に入って、
私は調子を崩し始めました。

仕事のストレスからか、
離人感が半端なく、
解離して大量服薬をしました。

3月23日に行った大量服薬は
計画的に行った自殺未遂でした。

死ねればラッキー、
程度でしたが。

悪性症候群のような症状は出ましたが、
結局、死ねるわけもなく。
そこから精神科病院に転院し、
今に至るわけです。



今の私にとって、
母は重すぎるのです。

母は、
距離がないのです。
 
私の触れられたくないところにも、
ズカズカと土足で入ってくるのです。

「何で死にたいと思うの?」
「あなたが本当に望んでることは何なのよ?」
「フラッシュバックって、何を思い出したの?」
「元夫にお金送る必要なんかないよ!」

とかいろいろ。



一昨日の外出の後、

「あんたが軽躁状態な理由が分かったよ。
 今日が満月だからだよ。
 あなたは発達障害なんだから、
 見えない世界のことも自覚すべき」

みたいなことをLINEで言われました。

軽躁状態で
イライラしやすくなっていた私は
その言葉でスイッチが入ってしまったかのような感じで、
母にこう伝えました。

 

「まにゃはまにゃで、
 私はまるごと受け入れるし、認めてる」

って、母は言うけど、

じゃあなんでそんなに土足で入ってくるの?

認めてる認めてるって言うけど、
私がこれだけグイグイ土足で入られて、
傷つかないとでも思ったの?

母は距離がないんだよ。
母のものさしでしか測らないで相手を嫌な気持ちにさせて、
それが母の言う認めてるってことなの?

私は、正直、  
母が苦手だ。
だから、距離を置きたい。

退院しても、
実家に戻るつもりはない。
グループホームに入るなり、
一人暮らしするなり、するから。



母は、
「意味分かんないんだけど?」
と言いつつ
「よく言ってくれた!」
「距離おきたいならおけばいいじゃん」
と言ってきました。

私は、
「土足で入ってくる人がよく言うわ」
と返しました。

すると母は
「何があっても、親子は親子だから」
と送ってきました。



昨日、
主治医と心理士さんに
このLINEのやり取りを見せました。

「お母さんは、
 なんかちょっとずれてる気がしますね。
 まにゃさんは、勇気を出して伝えたと思うのに。」

と仰っていました。

私は、
勢いで言ってしまった部分も大きいけど、
やっと本音を伝えられた、と
ホッとしていました。



でも母は、
違ったようです。

母は昨日の夜のブログに

「次女が、好き勝手言ってきた。
 結局娘は言いたいことだけ言って、
 親を利用するだけ」

と書いていました。



それのどこが、
「まるごと受け入れる」なの?

母に対する不信感が募り、
今日1日、ずっとイライラして、
9時にジプレキサ、
15時にヒルナミン飲みました。




私はやっぱり、
母が苦手だ。
 
親子だからって、
所詮他人なんだから、
相性が合わないことも当たり前。

私は母と、
距離をおいて接したい。

主治医は、

「あのお母さんとずっと一緒にいると
 まにゃさんは疲れてしまうだろうなって思ったよ。
 たまに会う程度ならいいんだろうけどね。」

と言って下さり
先日、母が面会に来た時に

「まにゃさんもゆっくりしたい時もあるので、
 毎日いらっしゃらなくて大丈夫ですよ。
 週2くらいで大丈夫なので」

と母に伝えてくれました。

それから、
母の毎日の面会はなくなり、
私はホッとした部分が大きく、
ある程度落ちついて過ごせるようになりました。



主治医は、

「一番いいのは一人暮らしだけどね。
 自宅退院はストレスが大きいと思うから、
 グループホームに入所することも考えていこうね。
 だから、外出外泊は退院に向けてじゃなくて、
 気分転換の目的でしていけばいいよ。」

と言っています。



今日は、
仕事が早く終わった父に付き添ってもらって、
市役所に出向き、
世帯分離の手続きをしてきました。

私一人での世帯になったので、
高額療養費の限度額認定証の区分もオ(一番下の区分)になり、
入院費の支払いは何とかやっていけそうです。

退院にはまだまだ時間がかかりそうだけど
実家に退院するのではなく
グループホームへの入所や
一人暮らしするために、
ワーカーさんといろいろ話しながら
ゆっくり進めていこうと思います。



また、調子がよくなれば
私も母とうまく付き合えるのかもしれないけれど。

今は、
無理だな。

でも、
意固地になって
「実家に帰らない!」と
決めつけてしまわずに、
柔軟に考えていけたらと思います。







今日は、
鬱転したとまでは言えないけれど、
しんどい1日でした。

でも、
OT(作業療法)行けたし、
お昼ごはんは珍しく完食できたし、
市役所での手続きもできたし、

「今できること」は
少しだけどやれてるかな、
と感じます。

母のことを考えるとしんどくなるので
今日はもう、
考えるのやめたいと思います。

明日はどんな1日になるかな。
 
明日は穏やかに過ごせますように。