措置入院に至るまで | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

前回の記事の続きです。

 

 

 

 

8月19日。

昼に、義母が来ました。

子どもたちは義父が見てくれていました。

「○○ちゃん(私)がいい子だからこうやって来たのよ。

 何があったの?

 何でも話して」

と言われ、何も話すことのなかった私は、義母に帰ってもらいました。

 

夜、かかりつけの精神科(大学病院)に電話で相談しました。

「来てもらっても満床だから入院させることはできない。

 今日の当番病院に行って下さい。」

と言われました。

でも当番病院に電話すると

「かかりつけ医がある人は紹介状がないと診れません」

と言われました。

そこで、ほぼ終電でかかりつけの大学病院へ行きました。

「入院が必要です。紹介状を書くので、当番病院へ行って下さい」

と言われました。

夫が迎えに来て、一緒に当番病院へ行きました。

 

当番病院では、

「あなたの場合同じ先生に診てもらい続けることが大事なので、ここで入院するより次の主治医の外来日に診てもらって下さい。

 それまで危険なことはしないように」

と言われたので帰ることにしました。

 

8月20日。

この日も夫と子どもたちは日中義実家へ出かけていました。

私は昼からお酒を飲んでいました。

夕方、3人は帰ってきました。

私は寝室で横になっていました。

気づいたら1階の和室にいました。

そして、夫が怒っていました。

「お前俺の大切な財産に何してくれてんだ!」

とか何とか言ってたような気がします。

「は? 何言ってんの?」

と聞きました。

「お前また記憶喪失かよ!

 お前の頭は本当に都合がいいな!」

と言われたと思います。

「あ、解離したんだ」

と気づきました。

そこから、体が勝手に動いていました。

夫を突き飛ばし、殴る蹴るの暴行。

子どもたちは2階のリビングにいました。

完全に記憶をなくす解離とは別に、この時も解離を起こしていたのだと思います。

完全に別人のような感じでした。

私のことなのに私がやっているのではない

そんな感覚でした。

遠くから眺めていました。

うっすらとしか覚えていません。

時間としては、30分くらいだったと思います。

 

夫はその後子どもたちを連れて出ていきました。

私は、大変なことをしてしまったのだと思いました。

そこで、自ら110番通報しました。

 

警察署に連れて行かれ、

ここ数日の経緯や、あまり覚えてないこと

元々持っている精神疾患について

いろいろ話しました。

 

パトカーで、かかりつけの大学病院に行きました。

そこで「23条通報」の言葉を聞き、「あぁ、措置入院になるんだな」と気づきました。

 

大学病院から車で10分くらいの、その日の当番病院に行きました。

この時21日の午前3時頃だったと思います。

指定医の先生の診察がありました。

「今までにも解離を起こし他人に暴力を振るったことがありますか?」

と聞かれました。

「あります。両親とか、子どもとか」

と答えました。

私は体中をひっかいていました。

自傷行為がしたくて仕方がありませんでした。

その後、

「措置診察を開始します」

と言われました。

いろいろ話を聞かれ、警察の方も話を聞かれ、

「自傷他害の恐れが極めて高いので緊急措置入院とします」

その言葉で、私は措置入院となりました。

8月21日、午前6時頃だったと思います。

 

隔離室に入れられました。

私は壁に頭をぶつけるといった自傷行為を続けていました。

幻覚を見て、幻聴を聴いていました。

2日後くらいに、他の病院から指定医の先生が2人来て、措置診察がありました。

この時の内容は覚えていません。

この措置診察の後、暴れたらしいです。

これもまた覚えていません。

 

1週間程、隔離室にいました。

その後、大部屋に移動になりました。

幻覚幻聴は続いていました。

ここで私は至って普通の生活が出来ていました。

朝起きて三食食べて夜寝る。

テレビ等の娯楽も楽しめるようになりました。

 

入院中、夫は3回程来ました。

入院の手続きや衣類の準備等は母や妹がやってくれました。

夫は有給を取り、子どもたちの面倒を見ていました。

夫は離婚を考えていたそうです。

2回目の面会で、下の子を連れてきてくれました。

3回目の面会で、上の子も一緒に連れてきてくれました。

とりあえずこの時は、離婚はしないという事になりました。

 

入院して1ヶ月経った9月20日。

私は措置症状が改善したため退院しました。

不安でいっぱいでした。

任意入院で入院を継続しますか?

と聞かれましたが、お金がないのでやめました。

 

退院してからは、全く眠れなくなりました。

調子が悪くなりました。

まぁ、このあたりはまた機会があれば書こうと思います。

 

 

 

 

私が措置入院に至るまでの経緯は、以上です。

病気のせいとは言え、夫に怪我を負わせてしまった。

(今となっては元夫ですが)

謝っても許されることではないと思います。

でも夫は、とりあえず許してくれた。

ありがたいことだったのだと、今となっては思います。

 

まだ笑い話にはできません。

離婚してしまったのだから。

離婚の経緯も、私の過去のこういうことが積み重なって、どうしようもなくなったのだと思います。

 

笑い話にしてはいけないのだと思います。

この経験を、いい方に活かしていかなければ、

税金使って措置入院して、私が生きてる意味がありません。

私はこの経験を前向きに捉え、これからの人生を生きていこうと思います。

生かしてもらったのだから、恩返しできるように、生きていこうと思います。