ASDと診断されるまで~離婚から診断まで~ | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

2010年11月に最初の夫と離婚しました。

 

 

2011年2月に調子を崩しました。

自殺願望が出てきて、断薬していた薬を再開しました。

外出できない・家事もできない・お風呂も入れない・食事も取れない・眠れない…と不調のオンパレードでした。

半年で6キロ体重が落ちていました。

 

3月に、視神経炎になりました。

視力が下がって、矯正しても0.7程度。

原因はストレスとのことでした。

目眩も酷く、このままでは一人で生活できないので精神科へ入院することとなりました。

 

3月末に、解離を起こし、精神科へ医療保護入院しました。

暴れてしまうため、隔離室&拘束。

この頃は本当に薬漬けでした。

当時の処方が日記に書いてあったので書いておきます。

 

・毎食後

ドグマチール50(食欲増進・気分安定剤)

・夕食後

ジェイゾロフト75(抗うつ薬)

・就寝前

セロクエル500(抗精神病薬)

バレリン200(躁鬱の薬)

デパケンR200(躁鬱の薬)

ロヒプノール2(睡眠薬)

デジレル(抗うつ薬)

・頓服

ヒルナミン25

ヒベルナ25

 

その他に風邪薬だったり吐き気止めだったり、たくさん飲んでいました。

 

4月に県営住宅に当選したため、引越し。

4月末に大量服薬をし、悪性症候群のため総合病院へ一週間ほど入院。

薬の怖さを思い知り、また、医療保護入院で精神科に対して不信感を抱いたため、再び断薬しました。

 

その後7月までは通院していました。

当時の主治医と信頼関係を築けなかったため、それもやめました。

 

引っ越して環境も整ったけれど児童相談所の方はとても慎重で、娘を引き取ることは出来ませんでした。

保育園の空きがなく、10月の新入園児申込みで申し込んで来年の4月に引き取りましょう、という話に落ち着いていました。

 

8月から、職業訓練校に通いました。

医療事務の訓練校でした。

面接を受け続け、10月末から正社員での勤務が始まりました。

 

訓練校は楽しかったです。

様々な年齢層の方がいて、最初は人間関係で悩むこともあったけど、3ヶ月だけの付き合いだと思ったら吹っ切れました。

勉強は元々好きな方なので、ついていけなくなることもなく、楽しかったです。

 

問題は勤務先でした。

総合病院での泌尿器科・産婦人科外来での勤務でした。

まず、家から遠かった。(片道1時間半くらい)

そして人間関係。

感じの悪い先輩がいました。

仕事内容を教えてもらえない。

分からないところを聞こうとすると無視。

新人いびりでした。

 

別な先輩に、精神科への受診をすすめられました。

自己中断していたためです。

私は転勤で離れた土地にいた、以前の主治医(最初の夫のモラハラを指摘してくれた、離婚裁判の頃にお世話になった主治医です)を訪ねました。

そこから、その主治医の後輩という大学病院の先生を紹介してくれました。

その先生に私はASDの診断を受けることとなります。

 

そうこうしているうちに私は喘息が発覚し、12月に入院することとなりました。

それを機に退職しました。

 

2012年2月。

私は大学病院の精神科でwaisⅢの検査を受けました。

3月に、結果を聞きました。

詳しい検査結果は次の記事で書こうと思います。