平日仙台してきました―その6 吉岡⑤ | みそさざいのブログ

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吉岡本所案内所 9月30日更新となっていましたので、変更点は何かしら?

と思って見たら、ガイド予約は10名以内となっていました。

以前は5名だったけど、増えたのですね。

映画DVDを何度もリピートするうちに、吉岡の地を是非訪れてみたいと思われた方も多いと思います。

ガイドツアーの定員が増えたのは朗報ですよね。

 

さて、前記事の続きです。

ガイドツアーの行程表では、「菅原屋跡」→「浅野屋跡」となっていますが

菅原屋跡から浅野屋跡へ たどり着くまでに、再び吉岡宿本所案内所の前を通りました。

あれれ~、どんな位置関係なのかしら?と、吉岡宿めぐりガイドマップを開いて見てみました。

ガイドマップは吉岡宿本所案内所で頂くことができます。

ピンクの道路が奥州街道です。

なるほど~、このようなルートを歩いてきて、これから点線の方へ進むのですね。

 

そうこうしているうちに浅野屋跡に到着。

残念ながら、浅野屋さんは現存しておらず、看板だけ撮影させて頂きました。

ちなみに浅野屋跡は瀬戸医院という病院の屋敷内にあります。

 

どこの交差点なのかは、記憶が定かではないのですが、

ここまでくる途中に 珍しい信号機があったことを 思い出しました。

歩行者用と 自動車用が一体化している このレトロ?な形、私は初めて見ました。

 

 

歩きながら、お食事処も紹介していただきました。

ガイドマップで見ると、茶色い丸印の④⑤⑥あたりのお店だったと思います。

「殿、コーヒーでござる!」、「利息ラーメン」などの魅力的な案内板が記憶に残っています。

でも、お昼は利休泉本店で食べる予定ていましたので、お伺いできず、申し訳ありませんでした。

 

龍泉院に行く前に、淺多商店さんに立ちよらせて頂きました。

ガイドマップだと,緑の五角形印の3の場所です。

 

あれ?こちらは、予定には なかったけれど・・・ と、一瞬戸惑いましたが、案内していただき、本当によかったです。

 

皆様、「殿、利息でござる!」の映画を思い出してください。

セリフはないけれど、浅野屋の番頭さん、出てきますよね。

 

淺多商店さんは、浅野屋さんで筆頭番頭していた方のご子孫の方のお店でした。

明治16年に火災に見舞われ浅野屋さんが廃業した後、「春風」「霜夜」「寒月」の銘柄を譲り受け、

大正9年まで実際に醸造をしていたそうです。

 

浅多商店さんのホームページもぜひ覗いてみてください。

地方発送もされいているようです。

 

さて、

奥様が、どうぞ持ってください。

と、壺から取り出して手のひらに乗せてくださった寛永通宝の束、ずっしりと重たかったです。

このように、こつこつと貯めた銭が吉岡宿を救ったのですよね。

 

「殿の春風」は、こちらのお店で購入しました。

 

 

浅野屋さんは廃業してしまったけれど、筆頭番頭さんのご子孫の酒屋さんで買うことができて感無量です。

 

店内の展示物をいくつかご紹介します。

 

春風のお酒のラベルとうちわ、

 

 

「春風」の酒銘入りとっくり、明治期のものだそうです。

 

左側の十三郎さんのキャラクター柄のとっくりっも、かわいいですよね。

 

でも、お酒を買って荷物が重たくなってしまったので、軽いものがいいかなと思いこちらを購入しました。

 

一時期、在庫切れの時もあったそうですが、

私が行った日は再入荷していましたので、こちらの「御用袋」も買いました。

淺多商店さんでしか買えないそうです。

表は「殿、利息でござる!」の文字と浅野屋十三郎のキャラクターイラスト、

裏は大正時代までで醸造していた「春風」の当時のオリジナルロゴがデザインされています。

ロゴはうちわの上にあるラベルと同じ書体でした。

 

 

台本も見せていただきました。

 

中村監督と、磯田先生の直筆サインいりで大変貴重なものなのに、手に取っていいですよ。

と言っていただきましたので、中を拝見することができました。

 

「國恩記」保存管理などの貴重なお話なども、伺うことができました。

 

浅多商店さんは、それまで存じ上げませんでしたから、もしも、ガイドツアーに参加しなかったら、訪れることはなかったかもしれません。

だから、ガイドツアーに参加して本当によかったなぁと思いました。

 

磯田先生が書いた「無私の日本人」-穀田屋十三郎。
口外してはならぬ、慎め、という言い伝えを長らく守ってきたわけなのですが、

地元の勇気ある御老人が磯田先生に連絡したことがきっかけとなり、

世に出ることになった素晴らしいお話です。

 

龍泉院住職の栄州瑞芝が記録として残すために國恩記を記し、

それを懸命に保存してきた方々がいたからこそ、この秘めたる実話が表に出たのですよね。

その一端を担ってきた淺多商店さん、本当に本当にありがとうございます。

 

原作本が、映画になったきっかけはリンク先に書かれています。

堺雅人のアドバイスも役に立たず…羽生結弦も出演の映画撮影秘話2016/5/13

 

人と人の繋がりやご縁って、大切だなぁと思いました。

 

また、林まりこさんが、「羽生さん、威厳と気品があってぴったり・・・当時のお殿さまってこんな感じなんだろう・・・」とおっしゃって下さっています。

嬉しいですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。